原宿ガール

原宿ガール / Harajuku Girl

カワイイカルチャー


概要


日本の原宿はJR原宿駅周囲に位置する場所である。原宿文化は、原宿にいる10代、またはヤングアダルトたちに支持されている日本のファッションで、原宿の通りには彼らが好きなたくさんのブティック、流行店、衣料品店が並んでいる。

 

1980年初頭から現れ始め2000年頃に世界中で知られるようになった。

 

「ジャパニーズ・ハラジュク・ガール」「ハラジュク・スタイル」とは、「カワイイ」衣服を身にまとったゴシック・ロリータ(ゴスロリ)、ビジュアル系、ガングロ、ギャル、コギャルなど幅広い意味で原宿の10代の若者を説明するときに使われる言葉である。

 

原宿にいるアニメや漫画のキャラの衣装を身にまとったヤングアダルトのコスプレ系も含むことがある。

 

 

変遷


ラフォーレ原宿


原宿は、もともとは下級武士が住む小さな村だった。現在へとつながる若者文化のルーツは第二次大戦後となる。

 

戦後「ワシントンハイツ」と呼ばれる米軍の兵舎が原宿に設立され、キディランド、オリエンタルバザー、富士鳥居など軍関係者の家族のための料理店や衣料店が立ち並び始めた。米軍を通じて西洋文化が日本に入ってきて、そこに若者が集まり始めたのだという。

 

1964年に東京オリンピックが開催されることが決まると、ワイシントンハイツはオリンピックの選手村になった。日本中から多くの人々が世界のアスリートを一目みようとやってきた。また若者の集団がこのころ若手クリエイターたちに原宿に店を置くことを強く勧めたようである。

 

そして1978年に、「ラフォーレ原宿」がオープン。ラフォーレはすぐに原宿の人気スポットととなった。原宿は今もファッションビジネスの中心地を確立しつづけているものの、ラフォーレオープン後に、原宿のファッションコンセプトの大幅な変化があった。

 

ラフォーレ原宿の登場とともに、原宿の若者文化は、デコラ、ゴスロリ、サイバーパンク、森ガールといったガーリーカルチャーに急速に変化していったのである。

 

 

ヒッピー・カルチャーと少女文化の融合


戦後、カウンター・カルチャー1960sの中で象徴的なもので1968年にアメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた「ウッドストック・フェスティバル」がある。

 

それはロックを中心とした大規模な野外コンサートで、約40万人の観客を集め、アメリカの音楽史に残るコンサートである。

 

1970年代に入ると新宿では、このウッドストック・フェスティバル周辺にいたヒッピー・カルチャーの影響を受けてサイケデリックなファッションが流行する。内藤ルネや寺山修司など、いろんな文化人やアーティストが新宿を中心にユースカルチャー、カウンターカルチャーを生み出していった。

 

そうしたヒッピー・カルチャーの中の1つに内藤ルネさんに代表されるような少女文化などのカルチャーが紛れ込む。内藤ルネが現在の原宿の「カワイイ」文化のルーツの1つとなっている。

 

 

デコラ


 

「デコレーション」の意味として知られる「デコラ」は日本の若い女性に人気の原宿スタイルで、「かわいい」系譜に属するもの。1998年春ごろから急増したファッションスタイルで、初期は篠原ともえをルーツとしている。

 

デコラは、ピンク色を中心としたブライトカラーやカラフルなリボン型のヘアクリップで装飾しているのが特徴で、アクセサリーとしてプラスチックや変なおもちゃ、ジュエリーを身につけており、それらは歩くと音が鳴りひびき、まるで「歩くおもちゃ箱」のようである。Decoraはときどき外国人から「フルーツスタイル」と指摘されることがある。

 

増田セバスチャン氏がディレクターを務める『6%DOKIDOKI』が、デコラファッションの代表的なブランドといわれている。

 

2000年代なかばにはいったんきえかけたデコラは、2010年に入って再び増え始めています。デコラはその後発展・分離し、原色が強いデコラに対してパステルカラーでまとめられ、ふわふわした妖精のスタイルの「フェアリー・デコラ(フェアリー系)」となった。