【スポット】タコシェ「日本のアングラの聖地」

タコシェ / Tacoche

日本のアングラの聖地


概要


タコシェ(1993年6月9日-)は、東京の中野ブロードウェイ3Fにある書店。アンダーグラウンドコミックZineインディーズ音楽など一般流通には乗りづらい書籍を取り扱っているのが特徴で、ほかにインディーズ系CDや映像、絵画、雑貨などやはり一般流通には乗りづらい商品を幅広く取り扱っている。

 

創業者は松沢呉一。元々は青林堂・ツァイトを母体として、マンガ雑誌『ガロ』のアンテナショップとして設立。そのため、丸尾末広、根本敬、山田花子などいわゆる「ガロ」系作家の品揃えが豊富となっている。

 

また、創業当初から店員で現店長の中山亜弓が演劇ライターだということもあり、寺山修司や唐十郎など昭和アヴァンギャルド関連の作家の商品も幅広くそろえられており、また松沢呉一の仕事経歴から、エログロ、ドラッグ、オカルトなど“危ない”系の商品もそれなりに充実している(現在は大分薄れたかも)。ほかに、ペヨトル工房系列の耽美系の商品も目立つ。

 

店内では、アーティストや漫画家・イラストレーターの作品を展示したり、関連書籍やグッズを集めたフェア、サイン会や作家を迎えての半日店長などのイベントを行っている。

 

 

歴史


タコシェは、漫画雑誌「ガロ」の発行元の青林堂・ツァイトを母体とし、またインディーズ音楽レーベル「UKプロジェクト」のサポートを受け、ライター松沢呉一が店員代表とする形で、1993年6月9日、東京・西早稲田の裏通りでオープン。

 

「タコ」というたこ焼き屋だったところを借り、面倒だからそのまま看板を使うことになり「タコシェ」になったという。

 

開店当時の商品は、青林堂の全出版物、トムズボックスから買い付けてきた本、ミニコミ、ビデオ「妹と油揚」、井口真吾トランプ、ハンカチ、長井会長のてぬぐいなど。

 

店員は現在店長の中山亜弓、若林チカ、大川戸良衣、坂本弘道、仲島圭一。だが期間限定で店舗をかまえていたため約半年ほどで店舗を移転することになる。当初は下北沢に移転する予定だったが、受け入れ先の会社の経営状況が芳しくなかったため下北移転は暗礁に乗り上げる。

 

このまま閉店か、原宿移転か、など二転三転していたが「京浜兄弟社」社長の岸野雄一と相談し、1994年2月に高円寺のモンドレコードショップ「マニュアル・オブ・エラーズ」内に移転することになる。

 

タコシェ第二期がスタート。タコシェ高円寺店の看板は、マンガ家パルコ木下が描いていた。このころから、松沢は「大店員」、中山が「店員代表」という肩書きになっている。また青林堂から独立し、個人商店となる

 

高円寺時代では2つの大きな事件に見舞われる。1つは万引き問題。サブカルチャー系書店やインディーズ系レコード店など利益率の低い店にとっての万引きは命取りになるのだが、このとき万引き常習犯がいて苦労したようだ。

 

もう1つは、後楽園ゆうえんちのルナパークに7月に出店するも、赤字続きで1ヶ月で閉店することに。高円寺店の売り上げもかんばしくなく、これ以上続けても展望がないと判断し、再び移転する方向に動き出す。

 

そして、まんだらけの古川社長の口添えで中野ブロードウェイ3Fに移転が決定。オープンは1994年11月27日。しかし、このころはまだ独立した一店舗ではなく、「冒険王」「観覧舎」「タコシェ」の3店舗が入る「Trio」というスペース内の1ブースのようなかんじだった

 

タコシェ第3期スタート。看板は現在も利用されている友沢ミミヨによるもの。目録発行、サイン本フェア、各ガロ系アーティストのフェアなどを定期的に行い、このころから経営は安定し始めるようになる。

 

また経営が安定するとともに、松沢さんは、自身が経営に飽きてしまったことや、自分がいなくても維持できるだろうと思うようになり、徐々にほかの店員に経営を任せるようになる。

 

TRIOスペース内に共同で店舗を構えいてた観覧舎が独立して4Fに移動したことをきっかけにタコシェも独立を考える。ちょうどブロードウェイ3Fに空き物件が出きたため、TRIO内のいずれかの店が押さえようということになりタコシェが移転することに。1996年10月5日、現在の場所に移転することになった。

 

この移転を機にタコシェは有限化し、それとともに中山亜弓さんがタコシェの社長となり第4期スタート。さらに経営も安定していく。(2008年頃まで)