エマニュエル・トッド「大分断」
教育格差が生み出す民主主義の機能不全
エマニュエル・トッド (Emmanuel Todd, 1951年5月16日 - ) は、フランスの歴史人口学者・家族人類学者。人口統計による定量化と家族構造に基づく斬新な分析で知られる。経済よりも人口動態を軸に歴史を捉え、ソ連崩壊やイギリスのEU離脱、アメリカでのトランプ政権誕生を予言した。
「大いなる嘘」の時代と民主主義の機能不全
今、我々は「思想の大いなる嘘の時代」に直面しています。先進諸国では、識字率が上がり、多くの人が民主主義について語れるようになり、あらゆる民主的な制度が存在し、投票制度も、政党も、報道の自由もあります。
しかし、実際には社会にはいくつものブロックに分断されてしまい、人々が「自分たちは不平等に生きている」ことを知っている状態にいます。
構造としては、上層部に「集団エリート」の層があり、その下に完全に疎外された人々、例えばフランスでは国民連合(旧・国民戦線。反移民などを掲げる極右政党)に票を入れるような層があります。そしてその間には、何層にもなった中間層が存在しています。
このような構造の中で、民主主義のシステムは機能不全に陥ってしまったのです。民主主義に基づいて築かれた制度は問題なく機能し、国としては全ての自由を手にしている。にもかかわらず選挙そのものは狂っているとしか思えないものになっている。
民主主義というのは本来、マジョリティである下層部の人々が力を合わせて上層部の特権階級から社会の改善を手にしようというものです。ですから、民主主義は今、機能不全に陥っている。そしてこの機能不全のレベルは教育格差によって決まるのです。
教育格差と新しい貴族階級
教育の評価基準の特殊な点は、上層の人々の権力を驚くほど正当化してしまう点です。またそれは同時に、高等教育を受けなかった人々の自信を破壊してしまうものでもあります。
ここで忘れてはないらないのは、社会全体がそうなってしまったら、その社会の進歩は止まってしまうということです。非常に優秀と言われる高等教育を受けてエリートたちに指導されている国々で、高等教育の発展が、実は知性にとっては非生産的な結果をもたらしたと言えるかもしれません。
もはや「貴族階級」の称号であるかのようになった今、我々は全く別のフェーズに移行しようとしていると言えるのです。私が言いたいのは、この高等教育の機能の1つが、社会を階級化し、選別するものになってしまっているということです。
今の高等教育は学ぶ場ではなく、支配階級が自らの再生産を守るためのものになり、被支配階級の子どもたちよりもどれだけ上の教育を受けられるか、ということが重要になっている。
高等教育を「買う」ということすら可能です。アメリカではそれが顕著で、大金を払ってハーバード大学に入学することも可能な時代です。いかに自分が従順であり、忍耐強く、そして順応主義であるかを見せつけるために高等教育を受けるのです。しかし、そこで生まれるのは「バカ」しかいないことです。
マルクスの言う階級の現代版といえるでしょう。マルクス主義的な階級社会はもともと資本の所有でしたが、今日ではこの階級に「教育」という新たなツールが加わり、思想的、そして社会的な階級の存在を正当化しているのです。いわゆる高等教育を受けたエリートたちは、決して能力主義のおかげでそこにいるわけではなく、あくまで階級によってそこにいるのです。
エリート対大衆の闘争が始まる
とにかくこの教育の階層化と経済的な階層化の相違は、永遠に止まらない動的なプロセスとして見ることができます。
今の若者たちは現状のシステムに疲れています。もし希望があるならば、この世界、あるいはシステムから出たい、と思う人々がいるのです。イギリスのEU離脱やフランスで起きた黄色ベスト運動はその好例です。
マルクスは『フランスにおける階級闘争』をまさしくフランスで書いたわけですが、そのフランスで2018年から起きていたのは、仏大統領マクロン派の権力側と「黄色いベスト」たちの対立です。これは、高等教育を受け、非常に頭が良いとされながら実際には何も理解していない人々と、下層に属する、多くは30代から40代の低収入の人々、高等教育を受けていないながらも知性のある人々の衝突でした。つまり、フランスで学業と知性の分離は先行して始まっていたのです。
庶民階級で非常に知性溢れる人々がたくさんいる一方、上流階級には信じられないほど愚かな人々がたくさんいるのも事実です。これが今の階級構造だと思います。そして、黄色いベスト運動でもそうでしたが、彼らは彼らの中で自分たちのエリートを見つけています。これから何が起きることは明らかでしょう。まさしく階級闘争の再来です。
今のシステムの基盤は、野望、順応主義、お金でしょう。一人だけでシステムから抜け出すのは困難極まることですが、もしそれを多くの人々と共有できたなら、意外と簡単だったりします。そしてある瞬間、社会の転換が起きるのです。それが新たな分断なのか、あるいは革命なのか、まだわかりません。
良いマルクス主義と悪いマルクス主義
私は良いマルクス主義と悪いマルクス主義があると考えています。悪いマルスク主義者は資本家階級を金持ちのロボットのように捉え、彼らが金儲けにしか目がなく、そこに喜びを見出していると捉えます。
しかし、自分たちの人生を意味のあるものにしたい金持ちもいます。だから金儲けもある程度を超えたら重要ではなくなる。「支配階級の人々はただただお金を稼ぎたいだけだろう」という人もいるのですが、必ずしもそういうわけではありません。
・芸術
その金儲けに飽きたヒューマニストたちが、たとえばルネサンス期のイタリアでは、メディチ家をはじめ芸術に目覚め、芸術の都にすることで自らを正当化しました。
・慈善事業
他にも信仰心の強い支配階級の場合は、助け合い・貧困層の支援・メセナ活動などに自分たちの正当性を求める場合もあります。
・愛国心
ナショナリズムに傾倒する人々もいます。ドイツのプロイセン時代の支配階級がそうでした。