【要約】ジャック・アタリ「命の経済」
即刻「戦時経済モデル」を構築せよ!
以前の生活に戻ろうとすると状況は悪化する
人類は悪夢を乗り越えようとしているようだ。それは、悪夢が終わり、危機が発生する以前の世界に戻ることだと考えている。しかし、このパンデミックが自然に、あるいは治療薬やワクチンのおかげで魔法のように急速に終息したとしても、われわれがパンデミック以前の世界に戻ることはあり得ない。
現在ほとんどすべての政府が、ショックから現実否認、現実否認から先延ばしへと移行し、挙げ句の果てには思考停止状態に陥っている。本格的な戦時体制を敷こうという国が存在しないことに疑問を感じる。
以前の世界に戻ることを夢見る多くの人々に怒りさえ覚える。そうした以前の世界に戻ろうとする態度が逆にパンデミックを悪化させているのだ。
パンデミックとの戦いは「戦争」である
歴史上のおもなパンデミックと同様、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックは、何よりもまず、すでに起こりつつあった数々の展開を加速させている。悲惨な展開も前向きな展開も等しく加速させる、残酷な促進剤だ。
パンデミックを戦争になぞらえることに異議を述べる人がたくさんいる。しかしながら、これは間違いなく戦争なのだ。今回のパンデミックが発生した際、世界は戦争の勃発時と同様、数時間のうちに大混乱に陥った。そして、これも戦争の勃発時と同様、本格的な戦略を提示できた者は、ほとんどの国においてはほぼ皆無だった。
1914年7月(第一次世界大戦)と1939年9月(第二次世界大戦)のときと同様、人々は、今回のパンデミックは数ヶ月もすれば終息すると思っていた。パンデミックでは戦争と同様、人々の基本的自由は制限されることになる。多くの人々が命を落とすことになる。多くの指導者が失脚する。それまでの世界に戻ろうと願う者たちと、そのようなことは、社会、政治、経済、エコロジーの観点から不可能だと理解する者たちの間で、激しい論争が起こるだろう。
戦時中と同様、すべては死との関係において展開する。個人ではなく集団の死であり、私的な出来事としての死ではなく、可視化された死である。
死に意味を付与することに成功すると、その文明は繁栄する。逆に、死に意味を見出すことができないと、その文明は消滅する。だからこそこ感染症は文明にとってきわめて重要な出来事なのだ。人類はもはや個人ではなく、社会一丸となってこの事態に立ち向かう。
指導者が間違った戦略を選択したり、他者や自分たちの死に意味を付与できなくなったりすると、パンデミックはすでに進行中の変化を加速させ、それまで存在しなかったイデオロギーや合法権力を生み出し、新たな指導者の登場を促し、地政学を一変させる。
感染症対策の歴史
徹底的な隔離と憲兵による会食の恐怖監視
旧約聖書では、神は人間にたびたび隔離を課す。洪水から逃れるノアの方舟しかり、10番目の災いから逃れるエジプトのユダヤ人しかりである。「朝までにあなたがたは、ひとりも家の戸の外に出てはならない」。旧約聖書にはこの隔離という考えが至るところに登場する。皮膚病にかかったものは集団から排除されて暮らすことになる。「その人は汚れた者であるから、離れて住まなければならない。」
隔離の期間には、しばしば40という数字が登場する。ノアの方舟の40日やユダヤ人のシナイ半島彷徨の40年である。隔離の実践は「復活」への道のりとなる。ノアの方舟の場合は、一時的であっても罪のない、神の怒りを引き起こすことのない人間の出現であり、ユダヤ人の場合では、シナイ半島の荒野を40年間さまよったあとの約束の地だ。
人々は、祈りを捧げるだけでは疫病はおさまらないと考えるようになった。患者を強制的に隔離したのである。宗教家に代わり憲兵が登場した。疫病によって宗教家の手にしていた権力は憲兵へと完全に移行した。疫病の勢いが衰えないため、宗教は存在意義を失った。もう、宗教が死について説いても、真剣に耳を傾けるものはほとんどいなくなった。
過去にハンセン病患者に対してとられた扱いを参考に、感染者や感染が疑われる者を閉じ込めた。旧約聖書に登場する隔離である。期間も旧約聖書と同様、40日間だった。ペストが蔓延する地域から来るすべての船舶に対して40日間の隔離を課した。隔離対策は効果をもたらした。
宗教勢力は衰え治安当局が台頭する(自由は衰退する)
1600年代にヨーロッパ全土にペストが蔓延したこうした事態に対しても監視による取り締まり(市民の移動制限、感染者家族の外出禁止など)以外の方策はなかった。治安当局の権力は高まり、検疫警戒線を敷いた。この対策が功を奏し、パリは感染を免れた。パンデミックによってフランスの国家権力は強化された。国家が疫病を管理するという大きな変化があった。
1670年の初頭、ヨーロッパではペストが収束にむかった。1720年に、マルセイユでペストが再び流行すると、フランスはプロヴァンス地方全体を隔離する決定を下した。この対策が功を奏し、中央政府の権力は強化された。これを境に、疫病との戦いは国家の担うべき仕事となった。
1860年に、イギリスで自国の港に到着するすべての船舶に隔離を課す措置を廃止し、全員に対して検疫を行うだけになった。検疫の際に見つかった感染者は隔離病院へと搬送された。感染者以外の乗員は、寄港してから一週間後に検疫当局が健康状態を確認できるよう、イギリスでの滞在先住所を申告するだけでよかった。このイギリス方式はヨーロッパ全体での規範になり、隔離と同等の効果をもたらした。
科学と清潔の啓蒙思想
宗教は表舞台から消え、代わって治安当局が台頭した。国家の出番となったのだ。それだけでは感染拡大を防ぐには不充分だ。何かが必要だった。その何かを見出したのが、理性と科学、すなわち、清潔とワクチン接種を成功させた啓蒙思想だ。
治安当局だけではもはや疫病の流行は阻止できなかった。住環境を清潔に保つ必要があった。密なあばら家は取り壊され、上下水道が敷かれるなど、不衛生な地区は浄化された。検疫警戒線を無断を越境しようとするものは撃ち殺された。工場では感染症の症状が少しでも現れたら、労働者は自宅に送り返された。
1918年の春、サンフランシスコ、デモイン、ミルウォーキー、セントルイス、カンザスシティなどのアメリカの都市では、思い切ったスペイン風邪対策が打ち出された。学校、教会、劇場、集会所は閉鎖され、10人以上の集会は禁止された。これらの都市では感染率を半減させることに成功した。しかし、連邦政府レベルでは施設の閉鎖指示や密集を避ける対策は一切講じられなかった。
同年1918年11月、アメリカのほとんどの都市では規制を緩和し、集団隔離を解除したため、パンデミックの暴力は再び倍増した。死亡率が再上昇したのである。規制を維持していたなら、サンフランシスコの死亡率は記録した数値の20分の1くらいだったはずだ。
COVID-19と超監視体制の到来
感染症を予防し、抑え込むためには、国と企業は、個人の健康状態を監視するためのさらに効果的な手段を構築する必要がある。権力の中枢にはつねに監視があった。デジタル技術による国民の健康状態の監視は、独裁者の道具にも、個人が自由を得るための手段にもなる。
自由民主主義に反対するものたちが現れる。政府の危機管理がまったくさえないこの現況を政府の形態に問題があることの証拠であり、リスクに対応できず、長期的な展望を見いだせず国民を守ることができないのは、政府の形態が力が発揮できない構造になっているためだと考える。
彼らは即座に「安全」は究極の価値であり、「安全」を確保するためには「個人の自由と権利」を最優先することは断念すべきだと説くだろう。彼らは「安全」を理由にきわめて統制的な手法を徹底的に課し、追跡と位置情報収集のテクノロジーを導入し、超監視型社会を称賛する。
権力者がデータを管理するのなら、それは疎外や検閲のための強力な道具になる。中国のように権力者によるデータの管理は悲惨な過ちに至る危険性がある。これとは逆に、各自が自由に自己を監視し、自分が集めるデータをどう利用するかを自身で決めるのなら、監視は自由と信頼の道具になる。
理性と清潔を啓蒙できないと国はパンデミックで衰退する
1855年、中国ではペストの大流行によって1500万人が死亡した。その後、ペストはインドも襲った。中国とインドでは、この疫病で暴動が発生し、政治と経済は大混乱に陥った。アジアが長期にわたって疫病を終息できなかったからこそ、終息させたヨーロッパは一世紀以上にわたってアジアを支配することができた。
パンデミック時の経済
・穀物とブドウの生産量が30%から50%下落し、麦の価格は10年で4倍に跳ね上がった。
・地主は不動産収入が途絶え没落した。
・富裕層は逃げ出すのではなく自宅に閉じこもるようになった。一般的に、貧困層より富裕層のほうがはるかに危機を切り抜けやすいのは今も昔も変わらない。富は生き残った一部の者たちに集中し、裕福な商人が生まれた。
・労働者不足により、賃金が上昇した。
・その際、経済活動を停止させるようなことはなかった。病死する危険があっても、生きる糧を得るには働く必要があったのだ。