「人体の不思議展」本物の死体を展示して物議をかもした展示会

人体の不思議展 / Body Worlds

本物の遺体を展示して物議をかもした展示会


概要


「人体の不思議展」はプラスティネーション(プラストミック)という製法で作られた人体標本の展示。日本では1996年から2012年にかけて36の都市を巡回して開催され、650万人以上を動員したとされている。

 

会場に展示された標本は模型ではなく、すべて人の遺体を使用していた。全身標本は、皮膚を剥ぎ取られ、筋肉をむき出しにした状態で弓やアーチェリーを引かせられたり、前方の標本の肩に手を置いて列を組んで並ばされたり、さまざまなポーズをとらされ、死者であるにもかかわらず生きているかのような姿勢を演出されていた。

 

また、顔の側面、肩、腕の筋肉を薄く削いで拡げられたエリマキトカゲのような姿の標本、胸腹部の内臓が取り除かれてまま直立する標本。人体を縦に薄くプレート状に切断した横断スライス標本や、横に切断した水平断スライス標本、肝臓や腎臓や消化器などの部品標本もある。成人ばかりでなく、生後間もない乳児や月ごとの成長を示す胎児の標本も展示されていた。

 

しかし、展示は、主催者や後援者による虚偽と隠蔽によって、あたかも学術的・教育的展示であるかのように偽装されていた展示である。

 

『大紀元』によると、展示されていた人体は、おもとして中国において人間の遺体を加工、標本化されたものであり、それらの死体は非人道的な手法で調達されているという。中国共産党当局により弾圧され、大量に連行・失踪した法輪功学習者が多分に含まれているとみられているという。

 

「人体の不思議展」の会場に、慰霊碑や献花は皆無で、死者に対して敬意を払うようなアナウンスはなかった。そのため、このような展示に対してさまざまな市民運動団体や医療団体から疑問の声があげられた。展示を中止させるため、反対を訴える署名活動や主催者・後援者への公開質問状の送付・中止要請の声明・厚生労働省との折衝などが行われた。

 

法的にも訴えられた。すなわち、人体標本を自治体の許可を得ず、展示会場で保存したのは、死体解剖保存法第十九条違反の疑いがあるとして刑事告発が行われた。しかし、嫌疑不十分で不起訴となった。

 

2011年1月の京都展終了後、主催者は展示中止に追い込まれ、2012年3月に閉幕を宣言した。 世界を巡回し、展示され、貸し出されたり売られたりしていた大量の人体標本は、いったい誰だったのかいまだに明らかになっていない。「人体の不思議展」を再考証する時期に来ているのではないだろうか。

プラスティネーション技術


特徴


「人体の不思議展」で使われていたプラスティネーションとは、人体組織に含まれる水分や脂質をシリコン樹脂、エポキシ樹脂、ポリエステル樹脂などに置換することによって死体を長期間保存できるようにする技術である。この技術は、ドイツのグンター・フォン・ハーゲンスによって、1977年頃に開発された。

 

従来の標本は、刺激臭の強いホルマリンやアルコールなどの溶液に人体の一部を浸して腐敗を防ぐという方法で独特の生々しさがあった。プラスティネーション標本の特徴は、こうした欠点を取り除き、遺体の生々しさを薄め、見る人の心理的な敷居を低くしている。

  • 無臭で常温保存が長期間できる
  • 表面は乾燥しているので直接手で触ることができる
  • 水分が除かれ、ひからびた外観をしているため、ホルマリン漬けのような生々しさはなく模型のよう見える

プラスティネーション技術によって作製された全身標本一体あたりの値段は、2007年当時で80万元から100万元(日本円で1220万円から1530万円)。全身のスライス標本は200万元(日本円で3050万円)であるという。

死体加工の工程


・組織の固定:ホルマリン溶液に一週間程度浸して組織を固定する。

・水洗い:ホルマリン臭が消えるまで一、二日間水で洗う。

・予備冷却:水に浸しけ、マイナス5度のフリーザーで冷却する。

・脱水:マイナス25度に冷却した濃度70%のアセトン溶液に一週間標本を沈め、80%、90%、100%と順次濃度を高めたアセトン溶液に一週間ずつ浸して脱水し、脱水後に、室温に戻す。

・浸透:用途に応じてシリコン樹脂、エポキシ樹脂、ポリエステル樹脂を浸透させる。

・硬化:浸透させた樹脂に硬化剤を加えて標本を硬化させる。

・浸透促進:全身標本の場合、真空ポンプで気圧を徐々に下げてアセトンを気化させ、身体の深部にまで樹脂が浸透するようにする。

・乾燥:標本の表面の樹脂を拭き取り、密閉した部屋に入れ珪酸S6のガスを充満させ、かつ乾燥剤を置いて乾燥させる。

 

以上の工程で約1年かけて作成される。

歴史


初の商業展示「人体の世界」展


プラスティネーション標本が初めて一般公開された国は日本である。1995年創立100周年を迎えた日本解剖学会が、その記念行事として、ハーゲンス作製の標本を借り受けて展示を行った。東京上野の国立科学博物館で「人体の世界」展という名称で開催された。これが、このあと世界に広がったプラ標本の商業展示の先鞭である。

 

1995年に国立科学博物館において「人体の世界」と題して開催された展示は、日本解剖学会、国立科学博物館、読売新聞社の共催であり、文部省、厚生省、ドイツ大使館、日本学術会議、日本医師会、日本医学会、日本歯科医学会、東京、神奈川、埼玉、千葉の各都県の教育委員会が後援、協賛はエーザイ株式会社、協力はハイデルベルク大学である。

 

展示の意図は、日常生活の中に解剖学をさりげなく持ち込むという演出から始まっており、会場を訪れた一般庶民が目にするものはなにげない日常の暮らしをする骸骨やスライス人体たちだった。人体標本にさまざまなポーズをとらせるという演出スタイルは、その後の人体の不思議展に引き継がれていった。

 

なお、「人体の世界」展は、全体の展示かるすると全体の展示の一部だった。ほかに骨格標本、液浸標本、写真、図表、VTR、医書、顕微鏡などが並べられていた。展示期間の63日で、約45万人が来場。来場者の関心もプラ標本に集中しており、プラ標本の存在感は展示全体を覆うほど大きく、メディアもまたプラ標本のみであるかのごとく報じていた。

 

解剖学への関心を高める意図で開催されたが、市民がプラ標本で解剖学を学びたくなったかは疑問が残った。「人体の世界」展は解剖学の需要ではなく、非日常的な、今まで専門家の間でしか見られない本物の人体標本を見たいという欲求だった。このようなものは本来は見世物小屋のような「やましさ」がつきまとうものだが、教育的触れ込みがされていたので、人々には「やましさ」がなかったという。

「人体の世界」展チラシ
「人体の世界」展チラシ

「人体の不思議展」の主催者とは


『死体は見世物か』の著者の末永恵子によれば、「人体の世界」展の成功にともない、その展示がビジネスになると考えるものが少なくとも3人いたという。北村勝美と安宅克洋と山道良生であるという。彼らが主導で「人体の不思議展」の巡回展示は開催されることになった。

 

北村勝美は、かつてテレビ朝日の契約社員としてバラエディ番組の製作に関わった後独立、プロモーションビデオやテレビ番組の制作会社インプットビジョンを設立。2001年9月に株式会社日本アナトミー研究所を設立。これは、ドイツ製標本から中国製標本へ使用する標本を変更した際に、「人体の不思議展」の運営主体として設立した会社である。「アナトミー研究所」と称しているが、解剖学の研究機関ではない。同社は、2007年3月に閉鎖し、商号を株式会社エム・ディー・ソフトハウスに変更している。

 

安宅克洋は養老孟司の遠縁にあたる。彼は「人体の世界」展終了後、ハーゲンスのもとを訪れるためドイツへ行き、日本で標本の巡回展示を行う契約を結んだ。「人体の不思議展」主催側の主要メンバーとして渉外・広報を担当し、医学会との重鎮との交渉にも当たった。2008年に死去。

 

山道良生は、ゴルフ場開発や展覧会の企画運営を手がける株式会社マクローズの代表取締役である。彼は「脳、肺、筋肉など、部位をさらに網羅すれば、必ず人は来ると考えた」と述べている。

旧「人体の不思議展」


プラ標本に特化した展示は、1996年から「人体の不思議展」と名称を変え、大阪を皮切りに各都市を巡回しはじめた

 

この展示に使用された標本は、ハイデルベルク大学附属プラスティネーション研究所でハーゲンスによって作製されたものである。この標本による日本国内の巡回は、1999年2月に一旦終了する。

 

それ以後の展示は、中国製の標本によるので、便宜上、ドイツ製標本の展示を旧「人体の不思議展」中国製標本の展示を新「人体の不思議展」と区別しておく必要がある。

旧「人体の不思議展」チラシ。
旧「人体の不思議展」チラシ。

旧「人体の不思議展」の動員数は3年6ヶ月間で、約261万8000人だった。この展覧会では養老孟司をはじめ知名度や肩書きのある共催者・後援者を多数募り、その「信用」から公共施設を会場として借用する際に、絶大な効果を発揮した。

 

後援には、「人体の世界」展の後援団体の日本医師会、日本医学会など一部が継続して参加し、さらに日本赤十字社や日本看護協会や地方の医師会、歯科医師会、自治体、教育委員会、大学も名を連ねた。

 

ところが、1998年ハーゲンスが安宅克洋を訴えるトラブルが発生する。その原因は、興行収入からハーゲンスに配分される金額をめぐるものだった。これが原因で1999年2月、「人体の不思議展」大阪展終了と同時に標本はすべてハーゲンスの下に返却されている。

 

ハーゲンスとのトラブルで標本が去っても、起業家たちは「人体の不思議展」が金になるので開催をあきらめなかった。そのため、彼らがハーゲンスの標本の代わりにしたのが中国製の標本である。

 

なお、このときまでに養老は「人体の不思議展」に疑問を感じている。「中国では、素性の不明な遺体が流通していて標本の入手ルートは調べようないものが多いのです。私はそんな理由から安宅の要請を断りました」(『養老孟司〈激白〉『人体の不思議展という"バカの壁"』(週刊現代)と述べている。

新「人体の不思議展」


2002年3月に開始した『新・人体の不思議展』は中国製の標本である。標本の入手先は、当時江蘇省教育委員会の管轄下にあった南京蘇芸生物保存実験工場である。

 

同工場は、1996年3月に設立され、その年に「プラストミック標本」制作で中国の発明特許を取得し、国家重点新産品に指定されたという。なお、この工場は、2002年に民営化され、江蘇省教育委員会の管轄を離れている。

 

この中国のプラストミック標本技術は、ハーゲンスのプラスティネーション技術の特許権を侵害しているとの批判があり、新「人体の不思議展」の主催者はプラストミックという用語を使用している。

 

新「人体の不思議展」は、日本よりもむしろ中国国内のメディアで取り上げられ問題になった。南京公安部門が南京蘇芸生物保存事件工場に事情聴取したところ、2001年6月末に同工場は、日本アナトミー研究所と総額3384万人民元(約5000万円)の販売契約を締結し、さまざまな部位の人体プラストミック標本162点を販売したという。

 

標本の完成後、同工場は江蘇省舜天国際集団機械進出口股份有限公司を通じて、2001年9月30日と12月30日、2002年1月30日の3回にわたって大阪に輸出している。

 

同工場から標本を購入することによって、新「人体の不思議展」は再開した。「新・人体の不思議展」と称したプラストミック標本展示が、2002年3月、大阪を皮切りに全国を巡回をはじめる(後に「新」の字はなくなる)。

 

主催者の多くは、旧「人体の不思議展」と変わらなかったが、異なったのは、ハイデルベルク大学附属プラスティネーション研究所の名前が消え、その代わりに日本アナトミー研究所が出てきたことである。

 

また、新「人体の不思議展」の初期は、協力機関として、南京大学、江蘇省教育委員会、南京蘇芸生物保存実験工場も名前を連ねているが、中国国内で問題になったこともあり、南京大学と江蘇教育委員会の名称は図録の奥付から消されている

 

「人体の不思議展」の人体標本は当初、協力施設として南京大学が表示されており、報道でも南京大学の研究施設から貸与などと報じられていたが、南京大学は名義貸与や協力を否定して抗議を行っている。

 

中国側の主張が事実ならば、主催者側は、中国の教育委員会や大学との学術交流といったありもしない関係を捏造した可能性がある。

 

新「人体の不思議展」は2011年1月の京都展まで、計36回開催され、主催者発表で650万人以上が訪れた。「人体の世界」展から新旧の「人体の不思議展」まで、1995年から2011年の16年間にわたって開催された展示は、計45回、動員数は約907万以上と推計されている。

新「人体の不思議展」(2003年)の図録奥付。シールが貼られている版があるがその下には南京大学と江蘇教育委員会の名称が記載されている。
新「人体の不思議展」(2003年)の図録奥付。シールが貼られている版があるがその下には南京大学と江蘇教育委員会の名称が記載されている。

「人体の不思議展」の問題点


医学研究・教育の利用に対する疑問


まず、死体は単なるモノではなく、特別に敬意を払う対象であるという常識から出発する必要がある。人類史において人は戦争・虐殺・大飢饉・大災害・疫病などの惨事をのぞいて日常的に死体を足蹴りにしたりそのまま路傍に放置することはなく、丁重に死者を葬ってきた

 

仮に許される場合があるとすれば、死体使用の正当性の裏付けを私利私欲のためでなく、社会における望ましい目的のためとする。ここから、医学研究や教育の利用という道が開ける。日本においては「死因調査」「医学教育」「医学研究」がおもな公的な死体利用である。この利用は、現在および将来の世代において生命や健康を保持することにつながる。

 

しかし、「人体の不思議展」では、実物の死体を見ることを通して、観客は何を学習することが可能になるのか、合理的説明がない

 

人体する関する知識の教育が目的であれば、実物よりも模型のほうが使用しやすい。また現代において人体に関する知識は、人体モデルデータによる精巧な立体視画像、CG、CTスキャン画像、PET画像、精度の高いプラスチック模型、3Dプリンタなどいくらでもある。

 

また、人体の構造を理解する目的とする展示ならそれにふさわしい構成であるべきだが、展示では無理にポーズをとらせて、胸筋がちぎれたり、胸や肩の筋肉を薄く削いで拡げて、エリマキトカゲのような姿にされていたが、これが解剖学的分析とどのような関係があるのか

 

さらに、人体の構造を理解するなら、標本の解説があるべきだが、「人体の不思議展」では標本を観察するだけで人体構造や機能を説明した図表などもみあたらない。解説は、平易であっても決して水準を落とすことなく、科学的にも正確な知識が適切な形で書かれることが重要である。

標本の由来の不透明さ


「人体の世界」展と旧・新「人体の不思議展」の主催者による倫理に関する唯一の主張が、「生前の意志による献体」であった。しかし、いずれの展示にしても「献体」の根拠が揺らいでいる。本人の同意なしに展示品となっている可能性が高い

 

2006年に、疑問をもつ会が献体同意書の書式の開示を主催者に対して求めたが、「どのような形にせよ開示を差し控えさせていただきます」と拒否された。

 

2002年の大阪展では献体同意書の書式が展示されていたが、その内容を見た土屋貴志大阪市立大学教授(当時)は、「この同意書は医学教育や研究、解剖を目的とした通常の献体用です。〈無条件で医学・科学事業に提供する〉とありますが、〈無条件〉の中に一般公開まで含まれているとは思えません。説明なくそこまでの権限移譲を求めるのは悪しき包括同意ですし、同意が得られないなら一般公開すべきではない」と述べている。

 

主催者は、遺体は中国の南京大学の研究施設から貸与されたもので、生前に献体登録を受けていると述べていた。しかし、当の南京大学が「人体の不思議展」とは無関係であり抗議していたのは上で説明した通りである。主催者は南京大学に対しての弁明や謝罪などの一切せず、図録にシールで伏せられているだけである。

 

江蘇省教育委員会と南京大学は「人体の不思議展」との関わりを完全に否定している。さらに、江蘇省教育庁管轄の東南大学も、南京蘇芸生物保存実験工場への死体の受け渡しは一切ないと否定している。

 

工場と関係があったことを唯一認めたのが、南京医科大学だった。同大学は、1998年から2000年にかけて、江蘇省教育庁の補助金を得て、大学で制作した人体標本を工場に送り、プラストミック標本に加工してもらって買い戻した。その際、工場へ送った標本のすべてが戻っていたわけではなく、返却されなかったものがあったという。工場に送った標本や解剖後死体はすべて献体者のものではないと述べている

 

このことから「人体の不思議展」の標本は、同大学から工場に送られたもので献体者ではない可能性があるという。献体者ではないのだから、行き倒れや死刑囚ということになる。したがって、主催者のいう「献体」の根拠は完全に否定される。

 

しかし、南京医科大学の名称は奥付にはない。おそらく、工場が盗用して売買したものだからだろうが、出所を南京大学と偽った可能性がある。

教育の名を借りた死体ビジネス


日本では、移植用臓器や配偶子(卵・精子)および胚とともに死体の有償提供は禁止されている教育・研究・治療を目的とした人体は、基本的に無償提供される。

 

「人体の不思議展」は、入場料を徴収し、キーホルダーやストラップなどの関連グッズ販売も行っている。ここでは、死体標本が利益を生む商品であり、興行のための見世物となっていることは否定できない。一方、献体は、無償・無特典で遺体を提供し医学の発展に寄与することをその精神とする。

 

この献体を商業展示に使用することは、はたして容認できるだろうか。死体の商品化が、無償の行為のもつ社会的価値を破壊しようとしているのではないだろうか。

海外の「人体の不思議展」


標本は法輪功修練者や中国の強制労働者の可能性


日本だけでなく海外でも「人体の不思議展」は開催され問題視されている。

 

2013年、不透明だった遺体の出所を明確にするため、ジャーナリストのイーサン・ガットマンが同氏グンター・フォン・ハーゲンスに対し、標本のDNAサンプルの提出するよう申し立てた。

 

主催者側は死体は白人と主張しているが、展示中の数人の女性標本の足や体格は異常に華奢で頭は小さいため、中国人である可能性をガットマン氏は指摘した。

 

1999年、ハーゲンス博士は中国遼寧省大連に渡り、人体加工工場をつくった。ニューヨーク・タイムズの取材に答えた博士は、中国を選んだ理由について、本人や家族の同意はいらない新鮮な人体が大量に手に入り、医療技術を持つスタッフの人件費も安いためだという。また、現地政府の支持も得られ、供給された死体の加工処理の法的責任を問われる懸念はない。

 

ハーゲンスは1999年から中国遼寧省大連市に建設した死体加工工場で死体標本を量産し、世界各地の展示会に供給していた。当時の江沢民政権で、大連市長だった薄熙来氏はこの「死体ビジネス」を支持し、巨万の富を得ていたと伝えられている。

 

プラスティネーション技術にビジネス勝機を見てか、中国現地では模造品の作成が始まった。かつてハーゲンス博士の助手を務めた大連医科大学教授・隋鴻錦氏は2002年、博士の許可なく同技術を盗用し、大連で新たな人体加工工場企業・大連鴻峰社を設立。米国企業で世界的に展示企画を行うプレミア・エキシビジョン社と隋氏はパートナー契約を結び、「人体の不思議展」、「新・人体の不思議展」、「人体の世界(ボディ・ワールド)」などへの人体標本を大量に貸し出したり、売却したりした。

 

新華社傘下の雑誌『瞭望東方週刊』は2003年、「中国は世界最大の人体標本の輸出国になった」と報じた。

 

死体はいまだに身元が分かっていないが、同年から始まった迫害政策により不当に投獄された法輪功学習者である可能性をドイツ大手紙などが報じている。

 

2004年、ドイツ紙シュピーゲルは「ハーゲンス氏の死体加工工場の周りには少なくとも3つの刑務所や強制収容所が存在していた。なかでも悪名高い姚家留置所では政治犯や法輪功学習者が拘留されていた」と報じた。

 

その2年後、ハーゲンス氏は米ニューヨークタイムズのインタビューに対して「引き取り手のない中国人の死体を用いることは全く問題ないと(隋鴻錦氏から)聞いている」と答えている。当時、同氏の研修を受けていた大連医科大学解剖医の隋鴻錦氏は2002年に独立し、中国で死体工場を作り標本を世界中で開かれる展示会へ供給し続けた

 

アムネスティなどの国際人権団体の調べでは、何十万人もの法輪功修練者が巨大な中国「人体バンク」である刑務所や強制労働収容所に閉じ込められていると伝えている。

 

大紀元は、元共産党幹部で失脚した薄熙来と妻の谷開来が、刑務所の受刑者を人体標本展のために売買していたと報じている。薄が市長を務めていた遼寧省大連市にはプラスティネーションの特許を持つグンター・フォン・ハーゲンス氏とともに設立した死体加工工場があった。薄と谷にはそれぞれ横領と殺人の罪で懲役刑が下っている。

ハーゲンスの死体取得先


ハーゲンスはキルギス共和国の首都ビシュケク中国の大連に死体加工工場を所有している。そして、ハーゲンスは死体取得に関して2つの事件の疑惑がある。

 

BBCニュースは、ロシア警察がシベリアのノヴォシビルスクからドイツのハーゲンス宛てに発送された56体の遺体入りの荷物を欧州したと報道している。その遺体の中には遺族の許可なしに取得されたものがあったという。

 

2003年10月28日、AFP通信は、キルギス当局が、ハーゲンスの死体加工について法律違反がなかった捜査を開始したと報じた。捜査の結果、約200体の死体が、キルギスメディカルアカデミーのフォン・ハーゲンスセンターで発見された。死体は、刑務所、結核病院、精神病院、多数の普通の病院から供給されたもので、囚人の何人かにおいては、その死が親族に伝えられていなかったという。

 

2010年10月、ハーゲンスはインターネットによる販売を開始したと報じられた。プラ人体標本が約7万ユーロ(約790万円)。胴体部は5万5644ユーロから、頭部は2万2000ユーロ前後となっている。

日本における死者冒涜の歴史


アイヌ研究


近代日本の最初の植民地は、征服者が北海道と名付けたアイヌモシリである。そこで行われたアイヌ研究は、学術研究の名の下に差別性を帯びていた。

 

アイヌの墓地を盗掘し、骨や副葬品を持ち去る研究者たちにアイヌは激怒していた。研究者は知っていながら、学術名の下に発掘調査と称して行っていた。

墓を暴くことは、日本の刑法に違反していた。アイヌは日本の法律の保護下にあったはずである。しかし、研究者のなかには学術研究のために免責されるという思いがあり、アイヌの信仰や習慣をやすやすと踏みにじるのは、まったく尊重する気がなかったということだろう。