ジョンベネ・ラムジーの死 / Death of JonBenét Ramsey
子ども向けミスコン常連者の怪死
概要
生年月日 | 1990年8月6日 | ||
死没月日 | 2996年12月25日 | ||
事件発生場所 | 米国ジョージア州マリエッタ | ||
死因 | 絞殺による窒息 | 頭蓋脳外傷 |
ジョンベネ パトリシア・ラムジー(1990年8月6日 - 1996年12月25日)はアメリカの子役美少女。6歳のときにコロラド州ボルダーの実家で殺害された。
事件時、家の中から長い手書きの身代金を要求するメモが発見されている。父親のジョンが少女の遺体を発見したのは、失踪届を出してから約7時間後、自宅の地下室であった。
ジョンベネは頭部を殴られて 頭蓋骨を折られ、絞め殺されていた。首にはガローテが巻かれていた。検死報告書によると、正式な死因は「頭蓋脳外傷と絞殺による窒息症」だった。
この事件は全国的に世間やメディアの関心を集めた。その理由の一つには、母親のパッツィー・ラムジー(彼女自身が元ビューティークイーン)がジョンベネを一連の子供向けミス・コンテストに参加させていたことが挙げられる。当時、彼女のミス・コンテストの映像がTVで繰り返し流された。
この事件はいまだ未解決であり、ボルダー警察の未解決捜査のままである。
警察は当初、身代金のメモはジョンベネの母親が書いたもので、メモや遺体の外観は犯罪を隠蔽するために両親が演出したものではないかと疑っていた。
1998年、警察と地方検事(検事)はともに、ジョンベネが死亡した当時9歳だった兄のバークは容疑者ではないと判断している。
ジョンとパッツィーはまた、「第一級殺人と死に至る児童虐待の罪を犯した」正体不明の人物の起訴を妨害したとして告発されている。しかし、検察は、起訴を成功するには十分な証拠がないと判断された。
2002年には後任の検事が警察から事件の捜査を引き継ぎ、主に侵入者による犯行説を追及したが、2003年には被害者の衣服から採取した痕跡DNAが無名の男性のものであることが判明した。
2003年には、被害者の衣服から採取されたDNAの痕跡から、身元不明の男性のものであることが判明した。しかし、家族のDNAとは一致しなかった。
検察は2008年にラムゼイ家に謝罪の手紙を送り、DNAの結果によってラムゼイ家は「完全に白である」と宣言した。
ボルダーの元警察署長マーク・ベックナーを含む他の人々は、ラムゼイ家の容疑を晴らすことに反対し、DNAは犯罪との関連性が証明されていないだけのささいな証拠の一部に過ぎないと判断した。 2009年2月、ボルダー警察は検事からこの事件の再捜査をはじめた。
2013年10月、公開された法廷文書によると、1999年の大陪審が、ジョンベネの両親に対して、子供が脅迫されている状況にあることを許可したとして告訴するよう勧告していたことが明らかになった。
この事件の報道は、ジョンベネの短期間の美人コンテストでの経歴や、彼女の両親の財産、そして事件で発見された珍しい証拠に焦点を当てている。
メディアは警察がどのように事件を処理したのか疑問視している。ラムゼイの家族とその友人たち複数の報道機関を相手に名誉毀損訴訟を起こしている。
なお、ドキュメンタリーとフィクションの境界線を曖昧に描き、今もなお未解決の事件に迫ったNetflixオリジナル作品『ジョンベネ殺害事件の謎』が配信されている。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Death_of_JonBen%C3%A9t_Ramsey、2020年6月14日アクセス