蛭子能収インタビュー3
悲しくても可笑しいときは可笑しい
(出典元:ガロ1993年 4月号)
編集部:あっ、そういえば、ファンクラブの会長(※1)のお墓参りに行ってるの?
蛭子:いや、でも心で思ってますから。
編集部:忙しいもんねぇ(笑)でも、蛭子さんがこんなに売れたんで、きっと喜んでいるよ。守護霊になってるかもね。
蛭子:あれは可哀想かったね、やっぱり。中卒ですぐに俺のファンクラブ作ったから、16歳で死んだんじゃなかったから。
編集部:で、お葬式のとき、お棺に何いれてあげたんだっけ?
蛭子:うんとね『なんとなくピンピン』やったかな(大爆笑)
編集部:それって浮かばれないよぉ(笑)。
蛭子:だってさ、そのお父さんが「この子が一番好きな本だった」って言って持ってたんだもの(笑)。
編集部:そのときも蛭子さん笑ったんでしょ。
蛭子:いや、俺は笑いたいときに笑いたいんだよ(笑)。
編集部:その気持ちはよくわかるけどさ。
蛭子:なんか悲しいことと笑いたいことが別なんですよ。悲しくてもおかしいときは笑いたいんですよ。
編集部:子どもがそうだよね。そのまんまね、生まれっぱなし(笑)。自分の父親の葬式のときもゲラゲラ笑ってた、って言ってたよね、たしか。
蛭子:うん、そうそう。でもね、それはちょっとおかしいことがあったから笑ったんだよ。あれ合同の葬式で大学病院でやったの。で、もう一組の家族がいて、そこの息子が入ってきて、すわるなり、いきなり「ウワーッ」って演技っぽく泣いたのよ。それがすごくおかしくって我慢できんかった(笑)。
編集部:なんかシーンとすると弱いみたいだね。歯医者に行ったときとか。
蛭子:そうそう(笑)。もうあんときさ、俺どうしようかと思ったよぉ。そこの歯医者さん喉が悪いらしくてさ、喉に管みたいなのをつけてて、そこから声をだすんですよ。だから生の声じゃなくってロボットみたいで。でも「これ笑ったら失礼だな」って思いながらも涙流して堪えてたんですよ(笑)。そしたらね、そこの看護婦さんが「そんなに痛かったですか」っていってた(笑)。俺が痛くて泣いてると思ったんだよ。
編集部:よかったね、勘違いされて(笑)。
蛭子:よかったぁ(笑)それでね、俺、床屋に行けなくなったのもやっぱり笑ってしまうからなんですよ。床屋に行くと必ず笑ってた(大爆笑)。こう、寝かせられてヒゲを剃られると、必ずおかしくなるんですよぉ(笑)。
編集部:床屋と目があっちゃうから。
蛭子:グッと顔が近づいてくるから。その笑いを堪えるのが苦痛になっちゃってホントに行かなくなっちゃったの(笑)。
編集部:一度そう思い込むと、もうだめなんでしょ。
蛭子:そうだね、それになんか形式ばった人っておかしいんですよ。
編集部:また、そんなカッコつけたようないいかたしちゃって。
蛭子:だからまだ、本当の悲しみを知らないんでしょうね(笑)。
編集部:ああ、なにしろ生まれっぱなしだからね(笑)。
蛭子:だからね、俺の葬式んときは笑ってくれていいよ(笑)。食べていくれてもいいや。
編集部:やだっ、まずそうだし(笑)。でも、自分が死んだときのことなんか考えたりするの。
※1:蛭子ファンクラブの初代会長T 享年16歳。根本敬によれば「蛭子さんに初めて殺された人」であるという。
T君は漫画好きで本人も漫画家志望で一番好きな漫画家はとりみき氏で、二番目が蛭子さんだった。はじめT君は、とりさんのともとへ「ファンクラブを作りたい」と申し入れたが断られ、ならば蛭子さんのところへ行ったら、頼まれれば断れるイイ人の蛭子さんだから「ハァ、いいですよ」と了承され、会長におさまる。
T君は会報をなどを編集するかたわら、入ったばかりの高校を中退し、アシスタントと見習いとして石ノ森章太郎のプロダクションに通う。
その矢先、バイクで転倒し、あっけなく死去。 |