ヒョードル・イェフティチョフ/ Fedor Jeftichew
ロシアで捕獲された犬面男ジョジョ
概要
生年月日 | 1868年 |
死没月日 | 1904年1月31日 |
国籍 | ロシア |
病名 | うぶ毛性多毛症 |
ステージ名 | 犬面男ジョジョ |
ヒョードル・イェフティチョフ(1868年-1904年1月31日)はロシア人パフォーマー。P・T・バーナムのショーに「犬面男ジョジョ」にというステージ名で出演し人気を博した。彼はもともとロシアやヨーロッパのサイドショーで活動していたが、バーナムがアメリカへ連れていった。
幼少期
¥ヒョードルは1868年にロシアのサンクトペテルブルクで生まれた。うぶ毛性多毛症という先天性の多毛症で生まれた。通常の胎児はうぶ毛が生まれる前に抜け落ちて軟毛に生えかわるが、うぶ毛性多毛症の場合は出生後もうぶ毛が残り続ける病気である。
父親のエイドリアンも息子と同じくうぶ毛性多毛症であり、フランスのサーカスで親子ともにパフォーマーとして出演していた。ヒョードルは父親が亡くなるまで一緒に巡業をしていた。
父親の死後、ヒョードルはアメリカの興行師P・T・バーナムと契約を結び、1884年、16歳のときにバーナムとともにアメリカへわたる。
バーナムはヒョードルを売り出すにあたり、「ロシアの古都コストロマで、ヒョードルと父親は狩猟家によって洞窟に追い込まれ捕獲された犬親子」というフェイク・ストーリーを作り上げ、またヒョードルの父エイドリアンは教化されなかった野蛮人だっため、ヒョードルはよく怒鳴り、吠え、唸り、特に犬とヒョードルの類似点を強調するように観客に説明した。ヒョードルもショーで、バーナムの指示とおりパフォーマンスを行ったという。
フョードルはロシア語、ドイツ語、英語を話すことができ、アメリカやヨーロッパなど広巡業の旅をした。
ヒョードルは1904年1月31日、当時オスマン・トルコ帝国の一部だったギリシアののテッサロニキで肺炎で亡くなった。
ポップカルチャーへの影響
ヒョードルは、アメリカのポップ・カルチャーで何らかのかたちでよく登場する。スター・トレックの第一作「宇宙大作戦」24話「楽園のこちら側」で、カーク船長はスポックに「サーカスにいた……犬顔の少年!」と話、スポックが怒るシーンがある。
アメリカの歌手アネット・ファニセロは「犬面少年ジョジョ」という歌を作曲している。アメリカのライブと即興演奏で著名なロックバンドのフィッシュは「犬面少年」という歌を作曲している。ディズニー映画の『美女と野獣』の野獣のモデルはヒョードルである。