【見世物】フィジーの人魚「フィジー諸島近郊で捕獲された人魚のミイラ」

フィジーの人魚/ Fiji mermaid

フィジー諸島近郊で捕獲された人魚のミイラ


1842年にバーナムのアメリカ博物館に展示されたオリジナルの「フィジーの人魚」。
1842年にバーナムのアメリカ博物館に展示されたオリジナルの「フィジーの人魚」。

概要


「フィジーの人魚」、または「フィージー・マーメイド」は頭と胴体が幼ない猿で、尻から下が魚の尾になっているオブジェクト。オブジェクトの数はさまざまあるが、共通してサイドショーにおいて「人魚のミイラ」という売り文句を付けられ、展示されていたという特徴がある。

 

フィジーの人魚は、バーナムのアメリカ博物館における最初の展示シリーズの1つだった。1842年にバーナムのアメリカ博物館に展示された最初の人魚のミイラは、口は大きく開き、歯はむき出し状態で、右手は右の頬に、左手は左下の顎の下に置かれてた状態のものである。

 

この人魚は南太平洋にあるフィジー諸島近郊で捕獲されたため、「フィジーの人魚」という名前が付けられたという。なお、さまざまなレプリカや似たような種類のものが作られており、よく似た名前と売り文句で展示されている。1842年のオリジナル版は、博物館の火災時に焼失し、現存していない。

歴史


日本の魚民から買い取ったのがルーツ


日本の漁民や東インド諸島では、長い間、猿の上半身と魚の身体を縫い合わせて「ハイブリッド」のオブジェクトを作っていた。彼らは宗教的目的でそのオブジェを作っていたとされている。

 

アメリカの船長サミュエル・バーネット・エデスが1822年に日本の漁師から人魚のミイラを購入したというのがルーツとされている。船長はその後、1842年にボストン美術館のモージズ・キンボールに人魚のミイラを売り払う。キンボールは人魚のミイラをニューヨークへ持ち込み、有名なショーマンで不思議なものへのご用達と知られていたP・T・バーナムに紹介した。

 

フィジー・マーメイドとして展示する前に、バーナムは博物学者に一度、検査してもらうことにした。ミイラの歯とひれの部分に博物学者は特に注意し、人魚ではないことはわかっているが、一方で製造過程がわからず人工物であることも証明することはできないという結論に導いた。

 

博物学者が人魚の信ぴょう性はないと考えていたにも関わらず、バーナムはこの骨董は博物館を訪れる人々をひきつけるだろうと確信して展示を決めた。なお、キンボールはフィジー・マーメイドをバーナムに売り払っておらず所有者で、バーナムに週に12.50ドルで貸し出した。