フリークス/ Freaks
本物の見世物芸人が多数登場した衝撃の問題作
概要
監督 | トッド・ブラウニング |
製作 |
トッド・ブラウニング ハリー・ラプト(クレジット無し) アーヴィング・タルバーグ(クレジット無し) |
脚本 |
ウィリス・ゴールドベック レオン・ゴードン |
原作 |
『Spurs』(1923年のトッド・ロビンソンによる短編小説) |
出演 |
ウォーレス・フォード レイラ・ハアイムズ オルガ・バクラノヴァ ロスコー・エイツ |
撮影 |
メリット・B・ガースタッド |
編集 |
バシル・ランゲル |
制作会社 |
メトロ・ゴールドウィン・メイヤー |
配給 |
メトロ・ゴールドウィン・メイヤー |
公開日 |
1932年2月20日 |
上映時間 |
90分(オリジナル版) 64分(編集版) |
製作国 |
アメリカ |
言語 |
英語、ドイツ語、フランス語 |
制作費 |
$310,600 |
『フリークス』はトッド・ブラウニング監督によるアメリカのホラー映画作品。日本で公開されたときのタイトルは『怪物宴』。
もともとは90分だったが、試写会のときに非常に衝撃的で残虐な内容とみなされ、さまざまなシーンがカットされた結果、64分に短縮されて一般公開された。90分のオリジナル版は現存していない。
この映画はトッド・ロビンズの短編小説『スパーズ(拍車)』を基盤にした作品である。
映画に登場する人物は、当時のサイドショーの実際のパフォーマーだった身体障害者の人々によって演じられた。特殊メイクではない点がほかの映画(たとえば同系統の『エレファント・マン』)との大きなちがいである。
小人症一家ドール・ファミリー、シャム双生児のヒルトン姉妹、下半身のないジョニー・エック、小頭症のシュリッツやジップ&ピップ姉妹などが出演している。
映画監督であり共同プロデューサーだったトッド・ブラウニングは、16歳で家を出て、サーカスの巡業に参加している。彼は映画『フリークス』を考案する際に、このような青年期の個人的な経験を作品しようとした。
当時、映画『魔神ドラキュラ』で成功していたブラウニングは、ホラー映画制作においてかなりの自由編集権が与えられていた。
映画『フリークス』において身体障害者たちは本質的に信頼感があり、尊敬すべき人々として描かれる。その一方で、サーカス団の健常者である怪力男と曲芸師の女の2人こそ、現実の"フリークス"というべき存在として描かれた。
2人の健常者は莫大な遺産を手に入れるため、小人症の男の殺害を企む。
内容
この映画はサイドショーを訪れた観客たちに呼び込みが、箱の中の見世物の説明をするシーンから始まる。幕で隠された箱の中をのぞきこんだ観客の女性が悲鳴を上げる。
その箱の中には、かつて美しく人気の女性軽業師がグロテスクな姿に変えられていた。
『フリークス』の話は、この箱の中の女性「クレオパトラ」という名前の女性軽業師を中心に展開する。
彼女はサイドショーの小人症の男性ハンスが所有にする巨額の遺産を知ると、遺産目当てにハンスに結婚の話を持ちかける。
さらに、クレオパトラはサーカスの怪力男で愛人のヘラクレスと共謀し、ハンスを殺したあと、彼の遺産を山分けしようと企んでいた。
結婚式中、クレオパトラはハンスが飲むワインに毒を入れる。ほかのフリークスたちはその事は知らずにいる。
フリークスたちは健常者にもかかわらずクレオパトラを自分たちと同じ同胞であると祝し、結婚式ではフリークス全員で「私たち(フリークス)はあなたを受けれいます。私たち(フリークス)はあなたを受けれいます。私たちと同じです、私たちと同じです。グーバー、ガーバー」と吟唱しながら、テーブルを囲む人たちに愛の盃をまわし、クレオパトラに歓迎の意を示す。
しかし、結婚式で泥酔していたクレオパトラは誤って、実は自分はヘラクレスと不倫関係にあることをハンスに明かす。さらに、彼女はその場にいるほかのフリークスたちをもあざけり、彼らの顔に愛の盃に入ったワインをぶちまけ、結婚式から立ち去る。
屈辱に満ちたハンスは自分がバカで彼女に騙されていたことを理解する。その後、ハンスは結婚式で飲んだ毒で倒れてしまう。
寝たきりのあいだ、ハンスはクレオパトラに騙されているふりをし、彼女が毒を入れた飲み物を飲んだふりを続ける。ハンスは秘密裏にほかのフリークスたちとともにクレオパトラとヘラクレスを懲らしめる作戦を練っていた。
映画のクライマックス、フリークスたちは暴風雨のさなか、銃、ナイフ、そのほか鋭利な剣を使ってヘラクレスとクレオパトラを襲撃する。ヘラクレスは嵐の中、フリークスに追われるシーンを最後に姿を消す。
ヘラクレスのその後のシーンは内容に大きな問題があり、編集版でカットされたため、ヘラクレスがどうなったかわからなくなっている(オリジナル版ではエンディングでヘラクレスがフリークスたちに襲撃され去勢されているらしい)。
一方、クレオパトラはグロテスクな「人間ダック」に変えられていた。
箱の中の彼女は、手の肉は溶け、アヒルの足のようになっている。足は切り落とされ、残った胴体には鳥の毛が付けられ、彼女は観客に向かって「グワー、グワー」と鳴き続けている。ブラウニングによる編集版はここで終わる。
なお、最後のシーンはのちに製作会社のMGMによってハッピー・エンディングに再編集されている。
製作会社による編集版では、ハンスは高級マンションで億万長者の生活をしており、そこへ同じ小人症の恋人フリーダが訪れる。彼女はハンスを抱きしめ「私はあなたを愛しています」というシーンで幕を閉じる。
映画に登場するフリークスたち
・ドール・ファミリー(小人症)
・デイジー&ヴァイオレット・ヒルトン(結合双生児)
・シュリッツ(小頭症)
・ジップ&ピップ(小頭症)
・クー・クー(ゼッケル症候群)
・ジョセフィーヌ・ジョセフ(半陰陽者)
・フランス・オコナー(腕のない少女)
・ランディアン王子(四股欠損)
・ジョニー・エック(下半身欠損)
・アンジェロ(小人症)
・オルガ・ロデリック(ヒゲ女)
・ピーター・ロビンソン(骨人間)
・エリザベス・グリーン(鳥女)
製作
フリークスの原作『スパーズ』
MGMはブラウニングのすすめで、1920年代にトッド・ロビンソンの短編小説『スパーズ(拍車)』の権利を購入している。
1931年6月、MGMプロダクションのスーパーバイザーであるアーヴィング・タルバーグは、ブラウニングにジョン・バリモア主演の『アルセーヌ・ルパン』の監督を依頼する。しかし、ブラウニングはこの仕事を辞退し、1927年から彼が始めているプロジェクトである『フリークス』の制作を優先した。
ブラウニングの心中には、以前の映画『三人』にも登場した小人俳優ハリーが持ち込んだトッド・ロビンスの脚本のことがあったからだ。それは、サーカスを舞台にした復讐劇で、タイトルは『スパーズ(拍車)』であった。
『スパーズ』の大まかな筋はこんな感じだった。フランスの旅興行のサーカスに所属する小人のジャック・クールベが、同じ一座の裸馬乗りの少女ジャンヌ・マリーに絶望的なまでに惚れ込んでしまう。
不思議なことにジャンヌはジャックの求愛を受け入れるが、それは実は彼が最近相続した遺産目当てのものであった。実際には彼女には、同じ馬乗りのパートナーであるシモン・ラ・フルールという恋人がいる。彼らは小人たちの平均寿命が大変短いことを知っており、ジャックが死んだ後で一緒になるつもりだったのである。
しかし、婚礼の宴の最中に酔っ払ったジャンヌは、「この"ちっぽけな猿"を肩に乗せて、フランスを端から端まで連れて歩けるわけよ」と、花婿を愚弄してしまう。怒ったジャックは、ジャンヌとシモンの間を引き裂くべき、ただちにサーカスを離れ、妻を連れて自らの邸宅に引退する。
ある日、シモンは馬車のドア口にジャンヌがいるのを見て驚く。彼女は、夫のジャックは彼女の言葉を許さず、実際にフランスを端から端まで担いで連れ回されているのだ、助けてほしいと訴える。
そこへ犬の背に乗ったジャックが現れ、シモンはジャンヌを救おうとする。しかし、ジャックの犬に組み敷かれ、ジャックに剣で殺されてしまう。完全ののぞみをたたれてジャンヌは、再びジャックを肩に担いで家路をたどる、というものである。
脚本家のウィリス・ゴールドベックとエリオット・J・クローソンは、このブラウニングの『スパーズ』の要望にこたえた。レオン・ゴードン、エドガー・アラン・ウォルフ、アル・ボアズバーグ、またクレジットにないが、ほかにチャールズ・マッカーサーなどらが脚本に携わっている。
この脚本は5ヶ月以上かけて形作られた。小人と普通の女性の結婚と結婚式以降の話はなくなりほとんど原型はなくなっていた。当初は普通の人間約に著名俳優を起用する予定だったが、最終的にはアーヴィング・タルバーグは映画に有名俳優を使わない方向に決めた。
キャスト選定
クレオパトラ役には、かつてモスクワ芸術劇場のスターであったオルガ・パクラノヴァが起用された。彼女は、美しく高慢な女性という役柄にぴったりの存在であった。そして、彼女の相方である小人のハンス役には『三人』同様ハリー・アールズが取り組むことになった。
『フリークス』の製作が決定すると、フリークス芸人から何百通もの履歴書や写真が郵送されてきたという。しかし、キャスティング担当のベン・ピアッツアは本物のフリークスたちをスカウトするために、ほぼ一ヶ月かけて東海岸のフリークショーを回り、自分で写真を集め、資料をブラウニングに郵送した。
こうしてヴォードヴィルの人気者だったシャム双生児のデイジー&ヴァイオレット姉妹、モントリオールのサイドショーでスカウトされた胸から下がないジョニー・エック、四股を欠いたプリンス・ランディアン、たった65ポンド、つまり体重30キロに満たない「人間骸骨」ピーター・ロビンソン、髭女のオルガ・ロデリック、「コウノトリ女」エリザベス・グリーンなどが採用された。
シュリッツ、ジェニー&エルヴィラ・スノー、ジップ&ピップらのピンヘッド一団もくわわった。
ほかにはオーストリア人の両性具有者ジョセフィーン=ジョセフ、腕のない女性マーサ・モリスとフランセス・オコーナー、数人の小人たち、肥満の女性、亀女、剣呑みや火食い芸人などが集められた。
しかし象皮病の少女や犬のような足をした少年、メイジャー・マイトと呼ばれる小人、入れ墨男、巨人などブラウニングが不採用としたフリークスもかなりの数にのぼった。
オリジナル版からカットされたシーン
『フリークス」は1931年10月に主要撮影を終えて、12月にポストプロダクションが完了している。
1932年1月に非難轟々となる悲惨な試写会が行なわれた後(ある女性はこの映画の鑑賞が原因で流産を引き起こした主張し、MGMを訴えると脅したという)、スタジオはオリジナルの90分版を64分に編集しなおした。
美術監督のメリル・パイは、その晩のことをよく覚えているという。彼女によれば、映画の途中で多くの人々が席を立ったという。しかも、ただ立って出ていったのではなく、大急ぎで逃げていったのだということである。
結局1時間半の元フィルムを1時間強に短縮する決定がなされ、木に縛り付けられたクレオパトラにフリークスたちが群がる場面や、ヘラクレスが雨の中でフリークスたちに襲われて去勢される場面などの恐ろしい場面が削除された。
亀女がアザラシに求愛される場面のような多くのフリークスにたちによるコメディ・シーンがカットされ、映画のエピローグにあたるシーンの大半がカットされている。
代わりにサーカスの呼び込みによる解説のプロローグ「フリークスたちの多くは正常な思考や感情を持っています。・・・このような物語が作られることは二度とないでしょう。なぜなら、現代の科学や奇形学が急速にこのような自然の過ちを世界から消し去りつつあるからです」や、小人の恋人の和解が特徴的なエピローグが追加された。
この再編集された64分版の短縮晩が、1932年2月20日にロサンゼルスのFOXシアターで一般初公開となり、現在DVDビデオなどで視聴可能となっているものである。
評価
短縮版は試験的に2月10日からロスアンゼルスのフォックス・クライテリオンでプレミアム上映された。
影響力のあるコラムニストであったルーエラ・O・パーソンズの好意的な批評にもかかわらず、映画は二週間で打ち切りとなった。シカゴでもサンフランシスコでも芳しい評判は得られなかった。
しかし、シンシナチやバッファローなどいくつかの地域では好評を博し、ボストン、クリーブランド、ヒューストン、セント・ポール、オマハなど地方では興行記録を塗り替えた。
さらに手痛かったのは、ハリウッド映画に批判的だった人たちから格好の攻撃目標にされたことである。全米女性協会のアンブローズ・ネヴィン・ディール婦人は、映画における道徳水準の低下を理由に、この映画のボイコットを呼びかけた。
『モーション・ピクチャーズ・デイリー』紙などは、この映画は「不親切かつ野蛮である」と述べた。ジョージア州では、この映画が「むかつくような、猥褻で、グロテスクで、異常な」作品であるとされ、上映が途中で打ちきられさえした。
『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙は、ブラウニングの映画はいつも病理学的だと感じるが、『フリークス』に比べると、これまでの作品はまるでおとぎ話のように見えると、書いた。『ボストンヘラルド』紙には、ブラウニングはもう引退したほうがいいと書かれた。
いくつかの雑誌には好意的な批評もあったものの、結局映画『フリークス』は、ニューヨーク興行を最後に巡回から撤退し、イギリスではその後30年数年にわたって上映そのものが禁止されることになった。
結局、31万6千ドルの予算をかけて作ったこの映画で、MGMは16万4千ドルの損失を出した。この後、ブラウニングは『街の伊達男』(1933)、『古城の妖鬼』(1935)、『悪魔の人形』(1936)、『ミラクル・フォー・セール』(1939)などの映画を撮りはしたものの、ほとんど無名のうちに消えていくことになった。『フリークス』以降の作品が興行的に失敗し続け、ブラウニングの会社側からの信頼を失っていった。
再評価
『フリークス』がお蔵入りになって十数年後、ドウェイン・エスパーという人物がこの映画に目をつける。彼は第一次世界大世後、アメリカでもっとも悪評高い邪悪で悪魔的な興行師として知られていた人物である。
エスパーは妻のヒルデガルドと組んで、自作のいわゆるエクスプロイテーション映画を各地の映画館で上映して回っていた。彼はMGMから信じられないほどの安価で、『フリークス』に対する権利を買い取ったといわれている。
そして作品名を最初は『Forbidden Love』(禁じられた愛)、次いで『Nature's Mistakes』(自然のあやまち)と変えて上映した。上映前に、本物のフリークショーを付け加えたりもしたといわれている。
さらには、エスパーは観客の多くはもっと猥褻な映画を期待していることを知っており、上映を途中で中断して、ヌーディスト・ビーチの映像などを10分ほど挿入したりもしたという。
1956年に、サンフランシスコ在住の裕福な映画興行家ウィリー・ワービー夫人が"不気味なものの歴史"と銘打ったホラー映画の回顧上映を思い立つ。
彼女の友人であるゴルディングが、同じくサンフランシスコ在住の悪魔主義者アントン・ラヴェイにこの企画の目玉になるような映画は何だろうかとたずねたところ、彼は即座に『フリークス』の名を挙げたという。
『フリークス』という映画をすすめられたものの、ワービー夫人もゴルディングも、この映画のことなど聞いたこともなかった。MGMに問い合わせてもわからなかったというのである。さんざんさがした挙句に、彼らは先程の興行師エスパーの存在を探り当てる。
すでに身を持ち崩しており、少しでも高い値段で売ろうとするエスパーから、彼女は5千ドルでこの作品を買い上げた。しかし、上映してみるともはやフィルムがボロボロで使い物にならないことが判明したのであった。
その後、オークランドの小さな映画館に良質のフィルムがあることが判明し、これをもとにネガが焼かれた。
こうして『フリークス』のひそかなリバイバルがはじまった。上映終了後、ワービー夫人は1万5千ドルでこの映画の上映権をレイモンド・ロハウアーなる映画配給業者に売り渡し、最終的にはMGMがその上映権を買い戻した。
しかし、この映画の真のリバイバルは、1962年に再発見されたことからはじまる。カンヌ映画祭で上映されたことをきっかけに、ヨーロッパでも新たな観客を獲得することになった。
また、ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンでは深夜上映の必須のタイトルとなり、それは今日まで続いている。この映画が解禁になった1962年は、実はサリドマイド事件のころでもあった。
後世への影響
『フリークス』がアンダーグラウンドで上映されて多大な影響を受けた有名なアーティストが写真家のダイアン・アーバスである。彼女はこの映画をきっかけに、フリークスたちの存在に大いに関心を惹かれるようになり、ついには身近なフリークスのカタログを作り出すことになった。
こうして、たとえば、前身に306のホラー映画からとった入れ墨をもつジャック・ドラキュラ、ロシア系小人、ユダヤ人の巨人エディ・カルメル、メキシコ系の小人モラールなどが、彼女の手で写真に残されるようになった。
アーバスがフリークスたちを写真に収めたのは、決して興味本位の行動ではなかった。彼女は次のように語っている。
「わたしはそれまで、ただ彼らに憧れていただけなのです。わたしは今でも彼らのうちの何人かに憧れを感じています。でもそれは、彼らが親友だというわけではなく、彼らが私に恥とおそれの感情を抱かせるということなのです」。