花輪和一インタビュー2
葛藤と不安感
編集部:花輪さんの漫画にはよく“極楽”という言葉が出てきますよね。主人公が「しあわせになりたい、しあわせになりたい」っていうところがありましたでしょ。
花輪:結局、しあわせってどういう事なのか分からないんですよ。あるがままに生きるのが幸せだ、平々凡々と質素に生きる、そういうふうになればね、性格的にね、山奥の辺鄙なところに嫁にいって、そこで小さな畑を一所懸命耕して、あまり外にも出ずにおばあさんになっちゃって、でも「ああいい人生だった」って死ぬ人いっぱいいるでしょ。そういう人って凄いなあ、と思うね。「私は幸せだった、本当に楽しかった」と思える。ああいう人になれればいいなあ、と思いますよ。
ずっと抑圧されて抑圧されて、それでオヤジの事が大嫌いで……。そんな現実から目を伏せていたんでしょうね。だから眠ったままだった。そして、お袋が死んだとき、それがきっかけでね、「ああ、現実ってこんなに凄いんだ」って改めて思いましたよ。いかに自分が幼かったか。子どもだったてね。
編集部:強烈な体験をされてきたんですね。でも、眠りからさめて、いろいろ葛藤はあるでしょうけれど、以前と比べると、少しは気持ちも代わりました?
花輪:うん、そうですね、なんていうか、子供の頃から共生依存があったんですね。要するに、自分の中に憎しみを取り込んでしまって、だから自分自身も憎かったんでしょ。自分自身に自信が持てない。劣等感、自己無価値感…。そういう悪いことだけを考えていたんです。だから、ずーっとボンヤリ生きてきたという事じゃないですか。他人の服を着てずっと人生を歩いてきたような、そんな感じです。それに気づいたときには、もう取り返しがつかない。自分の人生が失敗だった、という思いで、すいぶん悩みましたけれどね。
編集部:数珠を握りしめながら津軽海峡を渡って北海道に行ったのも、その頃だったんですね。
花輪:そう、津軽海峡を渡れば救われるというか、業が取れると思いました(笑)
編集部:まだ葛藤は激しかったんですね。
花輪:だって苦しいから逃れたんだもの。まだ凄い抑圧はあったし……。だから渡れたんだろうね。「東京でもラクに生きられるんだ」って分かればさ。葛藤とね、あと不安感。一番心の底にあったものはそれだね。
編集部:でも、北海道に渡ってから漫画の中に、地獄、極楽、宇宙やお経などもよく出てくるようになりましたよね。そういう世界が。
花輪:それは葛藤のタマモノですね。
編集部:そんな世界になってきてから、よく子どもが描かれていますね。
花輪:自分の心の中にはすごく、ああいう子どもの部分ってあるんですよ。自分でも分かるのかね。そのたび「ああ大人になりたい」と思っているんだけれど(笑)
編集部:花輪さん自信が投影されているんですね。
花輪:うん、そうですね。だから描きやすいんじゃないのかな。自分の心の中に子どもの部分がいっぱいあってさ、大人になれない部分が。やっぱり徐々に階段を登るようにして大人になっていくでしょ。でも、そうじゃなかった。
編集部:でも、花輪さんの描く子どもは、すごく逞しいですね。
花輪:きっと、そうなればいいなあ、と思っているからですよ。