ジョニー・エック/ Johnny Eck
下半身のない男
概要
生年月日 | 1911年8月27日 |
死没月日 | 1991年1月5日 |
国籍 | アメリカ |
病名 | 尾てい退行症候群 |
職業 | エンターテイナー |
ジョン・エックハルト・ジュニア(1911年8月27日-1991年1月5日)は、"ジョニー・エック"というステージ名で知られるアメリカのエンターテイナー。映画俳優。
下半身がない状態で生まれ、今日において彼は、トッド・ブラウニングの1932年の映画『フリークス』に登場する人物の一人としてよく知られている。彼はしばしば"アメイジング・ハーフボーイ”や"怪物王"という売り文句で宣伝されていた。
サイドショーやパフォーマーや俳優業のかたわら、エックは画家として音楽家として写真家としても活動している。ほかにゲームセンターの運営、人形劇「パンチとジュディ」の人形使い、熟練のモデルメーカーでもあった。
略歴
幼少期
ジョン・エックハルト・ジュニアは、メリーランド州ボルチモアで、父ジョン・エックハルト・シニアと母エミリアのあいだに生まれた。二卵性双生児であり兄のロバート・エックハルトもまたパフォーマーになっている。ほかにキャロライン・ローラ・エックハルトという姉がいる。
エックは仙骨部奇形だったため下半身を切断して生まれた。エックは自分自身を「腰でポキっと折れた」と説明することがあるが、実際はカスタムメイドの衣服の下には未発達の膝や足があったという。この足は使用できなかった。
誕生時のエックの体重は0.9kgで身長は20cm未満だった。その後、最終的に身長は45cmまで成長した。エックは下半身がなかったが、それ以外の部分に特に問題はなく健康に育ったという。
兄ロバートが立って歩きはじめるころ、エックは腕で歩いていた。エックハルト兄弟はふたりとも4歳で字が読めるようになり、7歳で公立の学校に入学した。エックの在学中、学校は好奇心でエッグをのぞき見しようとする見物客の視線を防ぐため、校舎の窓を全面黒くしていた。また、身体の大きな生徒たちは、お互いに「名誉」や「特権」のためエックを背負い階段を上り下りしたという。周囲からの視線にもかかわらず、エックは自身の先天性欠損に関して、一貫して楽天的なままだった。
母エミリアがエックを聖職者の道へすすませようと考えていたため、若いころのエックはよく客前で即興説教のパフォーマンスしていたという。また、エックは絵画や木工や彫刻に多大な関心があり、実際にかなり熟練した腕前を持つほどだった。
見世物芸人としてデビュー
1923年後半、エックと兄ロバートは地方の教会で開催されたジョン・マカスランの奇術ショーに参加する。マスカランは当時奇術ショーをするための助手を募集しており、エックは兄ロバートとともに人体切断奇術ショーを演じることになった。
このときにマスカランはショーにおけるエックの将来性を確信し、自身でマネージャーとなり彼をサイドショーに参加させようとした。エックは同意し、兄も同じく同意し、兄弟はサイドショーに参加することになった。
両親は1年半の契約を結んだつもりだったが、エックはあとで10年契約に変更になったと話している。1924年にエックはマスカランのもとを離れ、キャプテン・ジョン・シーズリーという名前の興行師と契約した。
エックは自身の身体の異常さを強調するため健全な身体のロバートと一緒に巡業していたが、しだいにエック一人で舞台にあがるよう要請されるようになった。当時のエックのパフォーマンスとえいば、タキシード姿で樽型の椅子の上に立ち、手品をしたり片手で逆立ちしての曲芸をすることだった。リングリング・ブラザースやバーナム&ベイリーズなどさまざまなサーカスの巡業に参加した。
映画「フリークス」に出演する
1931年の夏にエックはカナダ博覧会に行き、モントリオールでパフォーマンスを行う。このとき、MGMスタジオの目に留まり彼の最初の映画出演作品となるトッド・ブラウニング作品『フリークス』への出演へとつながる。また、これを機にエックはトッド・ブラウニングと親しくなる。
エックとトッド・ブラウニングは非常に気があい、映画の撮影中はよくトッドのそばにいることが多かった。エックはのちに「ブラウニングは私に可能なかぎり近くにいてほしかったようだ。彼は私の手があいているときはいつでも、撮影時には常に近くにいてほしいと要望した」と話している。
エックはときどき社交的になろうとしたけど、出演仲間たちとコミュニケーションをとることに快く思わなかった。彼は仲間について「幸せな騒々しい群衆」や「幼稚で、愚かな、彼ら自身の世界がすべてである」と話している。
エックは、ブラウニングは私とロバートの関係をフォローアップする作品を作りたがっていた話している。しかし、ブラウニングの仕事は『フリークス』の失敗よって取り返しのつかないダメージを受け、彼はもはや彼が願っていた企画の多くを断念せざるを得なくなった。エックはまた自分が出演した多くのシーン、30分近くが検閲により編集版でカットされたことに失望した。
『フリークス』のあと、エックは3つのターザン映画『類猿人ターザン』(1932年)、『ターザンの逃亡』(1936年)、『ターザンの秘密の宝』(1942年)に「グーニー・バード」という役柄で鳥のきぐるみを着て出演した。
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