『信者一億人 法輪功の正体』角間隆より(1999年11月出版)
いたずらに混乱させない、すべからく無為
-やはり1億人もの人間が一つの旗の下に結集すれば、当然それなりの集団パワーを利用して政治的な野心が出てくるのではないでしょうか。
李洪志:江沢民総書記が最も恐れているのもその点ではないか、と私も推察しているのですが、少なくとも今の我々には全くそのような野心はありませんし、また『法輪大法』の教えそのものも完全に正反対のものです。
あの政府主義の「東方健康博覧会」に2度も参加して、国を挙げての健康増進キャンペーンに積極的に協力したのも、私たちが微塵も反体制的なことを志向していない、いや、むしろ理想的な社会の建設に心から貢献したと思っているからこそです。
そして、また、修練を積めば、必然的に「効能」(超能力)が身についてきますが、私たちは「常人社会をいたずらに混乱させる」という理由から、それを実行に行使したりしないよう、厳重に含め合っています。要するに、既成の秩序を破壊したり国家を転覆したりする心配など全くない。「すべからく無為」というのが、我が「法輪功」の本質なのです。
法輪功大法は「イデオロギー」ではなく「宇宙の特性」である
-しかし、現在の社会主義政権が、あまり「唯心論」的な活動が活発になるのは困る、と非常に心配していることだけは確かなようですね。なぜなら、自分たちの志向する社会主義や共産主義は「唯物論」の土台の上に成り立っているから・・・・・・。
李洪志:私に言わせると、そのような考え方そのものが根本的に間違っている、と思いますよ。なぜ、「物質」と「精神」を全く別個のものとして峻別するのですか? この宇宙は物質だけでできあがり物質だけで動いている、とでも思っているのでしょうか?
とんでもないことです!そもそも、私が法輪功を創始したのも、そのような常人社会の低い次元の考え方や行動様式から離れて、もっと「心性」の高い次元にみんなを導きたい、と考えたからこそです。真・善・忍という宇宙の特性に少しでも近づいてもらいたい、と思ったからこそです。『法輪大法』は、やれ唯物論だ、やれ唯心論だ、といったようなイデオロギッシュなものではなく、そんな低い次元の考え方から完全に解き放たれた、もっともっと高い次元を目指したものなのです。だからこそ、権力闘争みたいなこの世の執着心から完全に昇華して、超然としていられるのです。
戸籍改竄ではなく戸籍訂正である
-北京政府は、あなたが「釈迦牟尼と同じ日(4月8日)に生まれた」などと、生年月日を改ざんしてまで自分のことを神秘化して人民を惑わしていると言って、さかんに非難中傷していますよ。
李洪志:実に卑劣なやりかたです!確かに、私は後になって「1954年生まれ」から「1951年生まれ」に書き換えたことがあります。しかし、社会主義中国が誕生して間もないあの頃(1950年代)は、何もかもが混乱していて、戸籍の記載のひとつにしても間違いだらけのことが多かったのです。また、文化大革命のときなどは、権力者側が意図的に戸籍を書き換えてしまうようなことも、よくありました。私は後になってそのような"間違い"を正しく訂正しただけであって、決して政府が言うような「戸籍改竄」などではなかったのです。ましてや、旧暦の「4月8日」に無理やりこじつけようなどという気持ちは全くありませんし、釈迦牟尼と同じように見られること自体がとても耐えられません。
法輪功の目的は非暴力・自己修練である
-そうはいっても、現実に、マスター・リーが最も大切にしている『法輪大全』を説いた書物やテープが破壊されたり、何の罪もない弟子たちが何千何万人と逮捕・勾留され、いまも鉄格子の彼方で拷問されたり洗脳されたりしていると思えば、やはり心穏やかではないでしょう。
李洪志:実に悲しく、残念なことです。不当に逮捕された弟子のほとんどは、ジリジリと照りつける太陽を遮るものとてない屋外の運動場に詰め込まれたまま、水も食べ物も与えられず、便所にさえ行くことを許されない状態のもとで、来る日も来る日も拷問され、法輪大法を捨てて転ぶよう強要されたのです。そして、そのような拷問的な抑圧は、今もなお休みなく続いているのです。
-大弾圧は終わらないのではないか、かえってもっともっと残酷な手段に打って出るのではないか、という観測があるのですが、1億人の仲間たちはじっと座って瞑想しているだけですむのでしょうか?
李洪志:どんな事態になろうとも、私はあくまでも、弟子たちに「絶対に暴力的な手段に訴えるべきではない」と、強く言い聞かせていくつもりです。なぜなら、法輪功の目的は「自己修練」であって、断じて「革命」や「叛乱」などではない、と信ずるからです。
正当行為の証拠を焚書坑儒で隠滅する中国共産党
-中国の政府当局による「李洪志」攻撃のもう一つの特徴は、「みんな私の言うことをだけを聞いていればよい」といったマスター・リーの独裁性や独善性を集中的に突き、「邪教の教祖への危険な妄信的追従から解放してやる」という戦術のようです。たとえば、あなたは、修練中の弟子に対して、「たとえ持病があっても、絶対に薬を服用してはならない」というような指導をしたことがあるのですか?
李洪志:政府当局は、「マスター・リーが信徒たちに薬を服用することを禁じたため、2人が病気で死亡した」などということを盛んに宣伝して、何が何でも私が迷信を振りまいているかのように、みんなに信じ込ませようとしているようです。しかし、私は、著書の中でも、録音やビデオの教材テープの中でも、また様々な講話の中でも、一度たりとも、「病院に行くな」とか「薬を飲むな」などと述べたことはありません。これは、実際に本を読んだり、テープを開いてみればすぐにわかるはずです。それなのに、政府当局は一方的にそれらの教材を没収して、何百万という本やテープを焼いたりキャタピラーで踏み潰したりしてしまったのです。実にアンフェアなやりかたです。不法行為の証拠を隠滅しているのは、むしろ彼らのほうではありませんか!