劉彭離 / Liu Pengli
人類史上初の凶悪な連続殺人犯は中国の皇族
概要
劉彭離(Liu Pengli)は、紀元前2世紀の漢の皇族の一員で、「済東王」として知られています。彼は中国皇帝の文帝の孫であり、景帝の甥でした。彼の父は景帝の弟、劉武でした。
劉は漢文帝の第二子である梁孝王劉武の第三子として生まれました。劉武の死後、竇太后の悲痛を慰めるため、梁国は五分され、劉武の五男全員が諸侯王に封じられました。劉彭離は、紀元前144年に濟東王に封じられました。
一部の歴史学者は、劉彭離を史上初の連続殺人犯と評価しています。司馬遷の『大史記』によれば、彼は29歳のとき、傲慢で残忍な性格で、夕暮れになると数十人の奴隷や不良少年らとともに略奪に出かけ、単なる娯楽のために人を殺し、財産を奪いました。劉の犯罪は、事実から数年後に書かれた『大史記』のみ記録されています。劉彭離によって殺害された人は、100人以上とされています。
さらに、同様の性癖を持つ仲間を集め、強盗や殺人の標的を探し求めていたようです。犠牲者の一人の息子が皇帝に告発したため、宮廷の役人たちは劉の処刑を求めました。しかし、皇帝は自身の甥を処刑することに耐えられず、彼を平民に降格させ、上京県(現在の湖北省竹山)に追放しました。紀元前116年、劉が所有していた土地の支配権は剥奪され、その土地は景帝に返還されました。
劉彭離は、中国史上初のシリアルキラーであり、また世界史上初のシリアルキラーと評価されています。
重要ポイント
- 史上初の連続殺人犯と評価されている
- 娯楽目的で奴隷や不良少年らと人殺しをしていた
- 同様の性癖を持つ仲間を集め、強盗や殺人の標的を探し続けた
■参考文献
・https://the-line-up.com/liu-pengli、2023年10月8日アクセス