丸尾末広インタビュー1
進学したって仕方がない
(出典元:ガロ1993年 5月号)
-丸尾さんはどんな少年時代を過ごしたのですか?
丸尾:家が超貧しかったんだよね。今思い出してみると、小学一年から六年までずっと同じセーター着てたんだよね(笑)。そんなこと全然覚えていなかったんだけれど、写真見てたら「アレッ、同じセーターじゃないの」って気が付いた。六年のときにはもう袖がツンツルテンになっててね、肘に穴が開いているんだよ。きっと入学式の時に買ったんだよね。そのままずっと着てたんだね(笑)。
-たしか兄弟が沢山いる、と言ってましたよね。
丸尾:七人兄弟の末っ子。一番上の姉と歩いているといつも親子だと思われてた。姉って感じはしないよね、ほとんどおばさんだよ。
-それで、どんな少年だったんですか?
丸尾:いつも閉じこもっていた。もう家では何も喋らなかったね。
-親とも?
丸尾:うん、憎んでいたわけじゃなかったけれど全然興味がなかったの(笑)。なんか自分の親として認めたくなかったんだよね。「こんなのが俺の親であるはずがない」って思ってた(笑)。恥ずかしいっていうか、とにかく友達に見られたくないという気持ちが強かったね。
-親は「どうして喋らないのか?」と聞いてきたりはしなかったんですか?
丸尾:うん、言っていたような気もする。「変なやつだなあ」と思っていたみたいだよ。何かやりにくそうにしてたね。どうやってこいつに接すればいいのか分からない、って感じだったね。それまではそういうタイプの例を知らなかったわけだから、戸惑っていたみたいだった。
-それじゃ、たとえば、父親と喧嘩もしなかったんですか?
丸尾:一度もない(笑)。喧嘩にもならないんだよ。だって自分が生まれてから父親が死ぬまでに、全部合わせても五分くらいしか喋ったことないんだもの(笑)。
-五分!返事だけまとめても、もう少し多いですよね(笑)。
丸尾:そうだよね(笑)。きっと父親も内心「コイツ、何で俺と口きかないのか」って思ってたんじゃないかな。「嫌われている」とかねえ(笑)。
-母親に対しても同じだったんですか?
丸尾:もうバカにしてたね(笑)。「何、この人」と思ってさ。
-子供の頃からすでにそういう感情を持つ、っていうのは結構マセた子供だったんじゃないですか。
丸尾:そうだよねえ。
-普通、末っ子って、いつまでも母親のあとをついていたりするけど・・・。
丸尾:あんなのの後ついて行ってどうすんの(笑)。
-じゃあ、食事の時間なんて地獄のようじゃないですか。
丸尾:シーンとしてた(大爆笑)。おまけに父親は食事のときに喋ったりするのを嫌う人だったんで、みんな黙々と食べてさ、終わるとバラバラに散っていくの。マズイものをなおさらマズク食べていたよ(笑)。
-普段は閉じこもってなにをしてたんですか?
丸尾:しょっちゅう絵をかいていたね。漫画の本見てそれを真似してかいていた。窓ガラスに漫画の絵をうつして模写するのをよくやっていたよ。「少年マガジン」の『エイトマン』とかさ。でもそうやっておとなしくしているのは家の中だけで、学校なんかではむしろ騒ぐ方だった。すごく目立つ子供だったね。
-外弁慶。
丸尾:そうだよね。外にでるともう騒いでたから。でも中学校から休み癖が付いちゃってさ、それからあまり学校へも行きたくなくなったんだよね。
-なにか原因があったの?
丸尾:それがさあ、昼の十五分くらいの連続ドラマで「氷点」をやってて、それが見たくて一週間休んだの。それが切っ掛け(大爆笑)。
-そんなに休んでばかりいたら問題児になるでしょ。
丸尾:なるよね。やっぱり。「あいつなんでもないくせにウソついてすぐ休む」とかね(笑)。でももう行く気がしなくなっちゃうでしょ、そういう癖がつくと。
-高校進学も考えなかったんですか。
丸尾:進学したってしょうがないよ。それにとにかく家にいたくなかったから。
-だいたい、丸尾さんくらいの年代の人は、とりあえず高校までは行って、と考えるでしょ。中学でたばかりで親元を離れて、というのはちょっと考えにくいことですよね。環境のせいもあったのかもしれないけれど、結構自立心の強い少年だったんですね。
丸尾:我も強かったから人の意見なんて全然聞かない子どもだった。宿題やってると姉が「ここはこうだよ」って教えてくれるのね。そのほうが正しいのに自分の間違った答えを押し通すの(笑)。それに、もう家にも執着心がなかったからね。それで一人で東京に出てきちゃったんだよね。