【完全解説】丸尾末広「現代の“エログロ”を代表する怪奇幻想漫画家」【完全解説】

丸尾末広 / Suehiro Maruo

現代の“エログロ”表現を代表する漫画家

丸尾末広「少女椿」(2003年 青林工藝舎)
丸尾末広「少女椿」(2003年 青林工藝舎)

概要


生年月日 1956年1月28日
国籍 日本
活動媒体 漫画、イラストレーション
ムーブメント ガロ系、エログロ、パンク
公式サイト http://www.maruojigoku.com

丸尾末広(1956年1月28日-長崎生まれ)は日本の漫画家、イラストレーター。

 

江戸川乱歩や夢野久作、エドガー・アラン・ポー、ルイス・ブニュエル、トッド・ブラウニング、マックス・エルンストサルバドール・ダリなど古今東西の怪奇幻想的芸術家たちのビジュアルイメージを合成し、それらを高畠華宵をはじめとする1930年代のレトロで耽美的な画風で独自の世界観を描きだすことで知られる。

 

丸尾の絵の大半は、セックス&バイオレンス表現であり、日本においては「エログロ:ero-guro」というカテゴリに分類され、また「現代無惨絵」と形容されることがある。丸尾自身も無惨絵を自認しており、1988年には作家仲間の花輪和一とともに、月岡芳年と落合芳幾の『英名二十八衆句』のオマージュ作品として『江戸昭和競作 無惨絵―英名二十八衆句』を刊行している。

 

代表作は『少女椿』1984年)で、主人公みどりちゃんは現在、丸尾末広の代表的キャラクターとして広く認知されている。『少女椿』は1992年に原田浩により『地下幻燈劇画・少女椿』という題でアニメーション映画化され、2016年にはTORICO監督によって実写映画化・全国公開もされた。

 

デビュー時から1990年ごろまで、丸尾はマンガ雑誌『ガロ』やアダルト雑誌をおもな活動拠点としていたが、1990年代なかばから一般誌にも執筆するようになる。2009年には、江戸川乱歩原作『パノラマ島奇譚』が手塚治虫文化賞新生賞を受賞し、注目を集める。以後、夢野久作など古典巨匠の原作とした作品が増えている。

 

『月刊コミックビーム」誌上で短編を中心に描いてきた丸尾だが、2014年から初の巻数表記が付く長期連載『トミノの地獄』を開始。本作品は同誌2019年1月号で無事完結した。

作品解説


リボンの騎士
リボンの騎士
少女椿
少女椿
カリガリ博士復活
カリガリ博士復活
薔薇色ノ怪物
薔薇色ノ怪物

芋虫
芋虫
パノラマ島奇譚
パノラマ島奇譚
瓶詰の地獄
瓶詰の地獄
トミノの地獄
トミノの地獄

丸尾末広インタビュー(ガロ 1993年5月号より)


丸尾末広と音楽


丸尾末広はロックバンドのレコードジャケットやCDジャケットも多数てがけている。このページでは丸尾末広の音楽関連の仕事を記録していく。

丸尾末広とイラストレーション・表紙絵


丸尾末広はほかの作家のイラストレーションや表紙絵を多数手がけている。このページでは丸尾末広の書籍関連の仕事を記録していく。

丸尾末広と舞台・イベント


丸尾末広は演劇や舞台関係のチラシ・ポスターも多数てがけている。このページでは丸尾末広の演劇や舞台関係の仕事を記録する。

略歴


長崎から上京


丸尾末広は、1956年1月28日、長崎の貧しい家庭で7人兄弟の末っ子として生まれた。両親とは喧嘩を一度もしたことがなかったものの、家族とのコミュニケーションは極めて疎遠。「自分が生まれてから父親が死ぬまでに、全部合わせても五分くらいしか喋ったことない」という。母親に対しても父親同様、疎遠だったという。

 

少年時代に『少年キング』『少年マガジン』等に熱中して、漫画家を志すようになる。1972年に3月に中学校を卒業後、高校には進学せず15歳で東京へ上京。漫画家になること以上に、とにかく家にこれ以上いたくなかったというのが大きな理由だという。

 

上京後、凸版製本の勤務と同時に板橋にアパートを借りる。四畳半で五千円のボロアパートだった。その後さまざまな職を30ほど体験しながら、独学で漫画を描く。

 

17歳で『週刊少年ジャンプ』に持ち込むが、自分の作風は少年誌に不向きであると知り一時漫画から離れる。

 

19歳のときにスリに手を染め始め、20歳ころに地元のレコードショップでピンク・フロイドやサンタナのレコードを盗もうとして捕まり留置所に入れられる。

 

10代の頃の終わりころに起こったチャールズ・チャップリンの映画のリバイバル・ブームに多大な影響を受ける。頻繁に映画館に通い、チャップリンの映画はすべて見たという。これをきっかけに1930年代の世界観に関心をもちはじめ、高畠華宵や伊藤彦造など同時代の挿絵画家に影響を受ける。これが、現在まで続くレトロな丸尾タッチの原点の1つとなっている。

アダルト雑誌や『ガロ』で執筆を始める


1980年、24歳のときに『エロス'81 劇画悦楽号2月号増刊』(サン出版刊)にて、「リボンの騎士」(『薔薇色ノ怪物』収録)で漫画家としてデビューする。

 

その後、久保書店『漫画ドッキリ号』、辰巳出版『漫画ピラニア』、蒼竜社『漫画カルメン』など三流アダルト雑誌を中心に執筆活動をする。丸尾がデビューしたころはポルノ漫画誌全盛期で、雑誌もたくさんあり仕事も多く、また好きなことが描け、新人漫画家がデビューしやすい時期だったという。表現上の厳しい成約を受けることなく自身の表現を発表できたのは、三流ポルノ雑誌だった。

 

2年後の1982年には、初の単行本『薔薇色ノ怪物』(青林堂刊)を上梓。以後小説の挿絵などを描くかたわら、『ガロ』をメインに作品を発表するようになる。丸尾は「ガロ」系とみなされるが、ポルノ漫画雑誌で描きためた原稿を青林堂で書籍化していただけで、正確には『ガロ』でデビューして、『ガロ』で活躍したわけではない。ちなみに、当時の「ガロ」は湯村輝彦などヘタウマ作家が主流だった。

 

1984年には代表作となる『少女椿』(青林堂刊)を上梓。浪花清雲作の街頭紙芝居「少女椿」に丸尾が独自に脚色を加えた作品で、昭和レトロ、少女、SM、怪奇幻想、耽美、残酷、エログロ、パロディ、シュルレアリスム、ユーモアなど、丸尾末広のテイストがふんだんに詰め込まれている。両親と生き別れ、見せ物小屋に売られて苦難を背負う主人公の少女「みどり」は以後、丸尾末広の代表的なキャラクターとなった。

 

夢野久作・小栗虫太郎・江戸川乱歩等の影響を匂わすその作風や緻密で耽美な画風は、瞬く間に人気を博し、その後漫画、挿画、イラストレーションなどを次々と発表するようになる。丸尾末広がアンダーグラウンド漫画家として、広く認知されてきたのもこのころである。

 

なお、『少女椿』はアニメーションも作られている。内容はマンガ版に色付けして声を当てた程度のものだが原作に忠実だった。

サブカル・アングラムーブメント


丸尾がさらに知名度を高めるきっかけになったのは、80年代から始まったパンクブームやサブカルチャーブームである。丸尾は、唐十郎の「状況劇場」や寺山修司の「天井桟敷」などのアングラ演劇を10代終わりのころから鑑賞しており、状況劇場をきっかけに飴屋法水と知り合う。

 

27歳ぐらいのころにに遠藤ミチロウと出会い、1983年、遠藤ミチロウ率いるザ・スターリンのアルバム「虫」のジャケットを手がけたのをきっかけに、1983年にAUTO-MODの「REQUIEM」、1989年に筋肉少女帯の「元祖高木ブー伝説」のジャケットを手がけるようになり、アンダーグラウンド・ミュージックでも認知度を高める。

 

1985~6年には、飴屋法水が主催する劇団「東京グランギニョル」の上演作品『ライチ光クラブ』に参加。俳優、およびポスター画を担当し注目を浴びる。初舞台では自身も役者として舞台に立ち、嶋田久作と共演している。

ザ・スターリン「虫」
ザ・スターリン「虫」
東京グランギニョール旗揚げの「マーキュロ」ポスター。
東京グランギニョール旗揚げの「マーキュロ」ポスター。

マイナー誌からメジャー誌への移行


1990年代なかばから、発表場所を『ガロ』や三流ポルノ雑誌から少年誌などほかの一般的な媒体へと徐々に移行しはじめる。

 

1993年、同誌に発表した中編作品「無抵抗都市」は完成度の高いストーリーで、その後の作品へのステップアップになった。90年代で注目すべき事柄として、『ヤング・チャンピオン』にて「犬神博士」「ギチギチくん」を発表。共に同版元から単行本を上梓し、執筆の舞台を広げた。

 

その後一時沈黙を保つも、2007年『コミック・ビーム』7月号より(エンターブレイン)にて江戸川乱歩原作「パノラマ島奇譚」の連載を開始。2009年には、「パノラマ島奇譚」が手塚治虫文化賞新生賞を受賞し、注目を集める。乱歩作品は丸尾自身も昔から描きたかったものだったという。また、丸尾は映画をライバル視しており、過去の乱歩作品の実写化に対する不満もあり「映画にできないことをやろう」と考えていたという。

 

2014年から『月刊コミックビーム」誌上で短編を中心に描いてきた丸尾にとって、初の巻数表記が付く長期連載『トミノの地獄』を開始。本作品は同誌2019年1月号で無事完結した。

丸尾末広「犬神博士」
丸尾末広「犬神博士」(1994年 秋田書店)
原作・江戸川乱歩 漫画・丸尾末広『パノラマ島奇譚』(2008年 エンターブレイン)
原作・江戸川乱歩 漫画・丸尾末広『パノラマ島奇譚』(2008年 エンターブレイン)
丸尾末広『トミノの地獄』4 (2019年 エンターブレイン)
丸尾末広『トミノの地獄』4 (2019年 エンターブレイン)

略年譜


■1956年

・1月28日、長崎の貧しい家庭で7人兄弟の末っ子として生まれる。

 

■1972年

・中学校を卒業後、高校には進学せず15歳で東京へ上京。

・凸版製本の勤務と寮に入る。その後、板橋のアパートを借りる。

 

■1973年

・『少年ジャンプ』に持ち込みをするが、少年誌に不向きであることを知る。

 

■1975年

・スリに手を染め始める

 

■1976年

・スリで捕まる。

 

■1980年

・『エロス'81 劇画悦楽号2月号増刊』(サン出版刊)にて「リボンの騎士」でデビュー。

 

■1982年

・初の単行本『薔薇色ノ怪物』(青林堂)を刊行。

・『夢のQ-SAKU』(青林堂)を刊行。

 

■1983年

・『DDT』(青林堂)を刊行。

・THE STALIN 『虫』のレコードジャケットを手がける。遠藤ミチロウとは以後、交流を深めるようになる。

・AUTO-MOD『REQUIEM』のレコードジャケットを手がける。

 

■1984年

・「少女椿」(青林堂)を刊行。主人公のみどりちゃんは以後、現在にいたるまで丸尾のシンボル的なキャラクターとなる。

 

■1985年

・『キンランドンス』(青林堂)を刊行。

・劇団「東京グランギニョル」の上演作品『ライチ光クラブ』で俳優及びポスター画を担当

・遠藤ミチロウ『オデッセイ・1985・SEX』のレコードジャケットをてがける。

 

■1986年

・『パラノイア・スター』(河出書房新社)を刊行。

 

■1988年

・『丸尾地獄』(青林堂)を刊行。

・『江戸昭和競作 無惨絵 英名二十八衆句』(リブロボート)を刊行。

・恐悪狂人団 『NO!~有為転変を乗り越えて不壊不動の境地に至れ!』のレコードジャケットを手がける。

 

■1989年

・『国立少年(ナショナルキッド)』(青林堂)を刊行。

・筋肉少女帯 『元祖高木ブー伝説』のレコードジャケットを手がける。

 

■1990年

・John Zorn『Naked City』のCDジャケットを手がける。

 

■1992年

・アニメ映画『地下幻燈劇画 少女椿』上映。

 

■1994年

・『犬神博士』(秋田書店)を刊行。

 

■1995年

・『風の魔天郎』(徳間書店)を刊行。

 

■1996年

・『ギチギチくん』(秋田書店)を刊行。

・『丸尾画報Ⅰ』(トレヴィル)を刊行。

・『丸尾画報Ⅱ』(トレヴィル)を刊行。

 

■1997年

・『月的愛人 ルナティックラヴァーズ』(青林堂)を刊行。

 

■1999年

・『新ナショナルキッド』(青林工藝舎)を刊行。

 

■2000年

・『笑う吸血鬼』(秋田書店)を刊行。

・『新世紀SM画報』(朝日ソノラマ)を刊行。

・BALZAC『全能ナル無数ノ眼ハ死ヲ指サス』のCDジャケットを手がける。

 

■2001年

・assfort『FREE PUNK CUSTOMIZE KIT』のCDジャケットを手がける。

 

■2002年

・MERRY 『個性派ブレンド~黄昏編~』のCDジャケットを手がける。

・MERRY 『個性派ブレンド~純情・情熱編~』のCDジャケットを手がける。

 

■2004年

・『ハライソ 笑う吸血鬼2』を刊行。

 

■2005年

・『丸尾画報EX Ⅰ』(河出書房新社)を刊行。

・『丸尾画報EX Ⅱ』(河出書房新社)を刊行。

 

■2008年

・MERRY『個性派ブレンド クラシック~OLDIES TRACKS~』のCDジャケットを手がける。

 

■2009年

・『芋虫』(エンターブレイン)を刊行。

・江戸川乱歩原作『パノラマ島奇譚』が手塚治虫文化賞新生賞を受賞。

 

■2010年

・『乱歩パノラマ 丸尾末広画集』(エンターブレイン)を刊行。

 

■2012年

・『瓶詰の地獄』(エンターブレイン)を刊行。

・R指定 『日本沈没』のCDジャケットを手がける。

・劇団「廻天百眼」公演「少女椿」の原作・宣伝美術を担当。

 

■2014年

・『トミノの地獄』1巻を刊行。

 

■2016年

・「芋虫」台湾版刊行。

 

■2018年

・『丸尾末廣 大原画展「麗しの地獄」』東京・タワーレコード渋谷店 SpaceHACHIKAIで開催。

・『丸尾末廣 大原画展「麗しの地獄」 in 台北」をMangaSickで開催。

 

■2019年

・『トミノの地獄』4巻刊行・完結。