モガ・モボ / Modern girl・Modern boy
昭和初期の西洋文化風のレトロ趣味
概要
モダン・ガールとモダン・ボーイとは
モボ・モガとは、それぞれ「モダン・ボーイ」「モダン・ガール」を略していった語。
「モダン・ガール」は、1920年代のヨーロッパのライフスタイルを模倣していた日本の女性たち。“モガ”とも呼ばれる。「モダン・ボーイ」はその男性版である。
モボ・モガは日本だけでなく、世界中で流行したライフスタイルであり、アメリカでは「フラッパー」、ドイツでは「ノイエ・フラウエン」、フランスでは「ギャルソン」、中国では「モダン・クーシーアージー」と呼ばれている。
1920年代、日本と欧米の対立構造を通じて右翼系マスコミ関係者はよく、モダン・ガールを「外国の影響を受けた軽薄で利己的で貞操観念のない女性の典型的なタイプ」として揶揄していた。この時代は日本で近代化が進み、お金と消費力を手にした若いレディ・ワーカーが出現し始めた頃だった。
モダン・ガールは都市で生活し、金銭的にも精神的にも独立し、自由恋愛を謳歌し、政治には無関心のように描かれていた。女性誌がまだ目新しい時代で、モダン・ガールは女性誌を彩る典型的な消費者モデルとして、コスメ、ファッションなどの広告でよく使われた。
1924年に出版された谷崎俊一郎の『痴人の愛』に登場するナオミがモダン・ガールの典型的モデルであったという。
モダン・ガールのルーツは完全にヨーロッパである。パンプスとショートドレスを身に着けており、ギャルソンのように着こなして、着物を捨てた。また口紅をつけ、フラッパーのようにボブ・カットをしていた。煙草を吸い、映画を鑑賞し、カフェを出入りし、一夜限りのカジュアル・セックスを楽しんだ。
オリーヴ・トーマス、クララ・ボウ、メアリー・ピックフォードといったアメリカの女優が日本のモダン・ガールに影響を与えている。特にメアリー・ピックフォードは『痴人の愛』のナオミのモダニズムの象徴として使われている。
モダン・ガールは、1931年に満州事変が勃発し、日本がナショナリズムへ向かい、また世界恐慌が日本を覆い始めると、19世紀の理想的な良妻賢母復興へ流れへ向かいモダン・ガールの時代は終焉した。
戦後レトロ文化として復活するモボ・モガ
現代においても、1920年代に流行したモボ・モガのファッションを踏襲した人達は、トレンディではなくレトロ趣味を好む人なかでよく見かける。
また、注意したいのは、ファションスタイル名こそ「モダン・ガール」であるが、そのライフスタイルは最新の欧米のファッションを取り入れることはほとんどなく、その真逆で20世紀的の理想的な時代に戻ろうというレトロ趣味である。
代表的なのは、戸川純の『ゲルニカ』である。戸川によれば自分たちの上の世代(団塊世代)への反発として、戦前のレトロ文化を身にまとうところがあるという。
そのような人たちは、昭和が終わり平成になっても「昭和90年」など昭和の元号をそのまま使い続ける傾向がある。