【見世物】マートル・コービン「骨盤が2つ、4本脚のパフォーマー」

マートル・コービン/ Myrtle Corbin

骨盤が2つ、4本脚のパフォーマー


内側のそれぞれの脚は、外側のそれぞれの脚とペアになっている。
内側のそれぞれの脚は、外側のそれぞれの脚とペアになっている。

概要


マートル・コービン(1868年5月12日-1928年5月6日)はアメリカの女性。二殿体。フリークショーのパフォーマー。体軸が発達とともに分裂し、結果として腰下に2つの別々の骨盤が並んだ状態の身体となった。

 

それぞれの骨盤に2本の脚があったが、外側の脚は普通のサイズだが内側の脚は小さかった。2本の小さな脚は、外側の2本の脚に挟まれていた。

 

さまざまな医療報告によれば、内側の脚を動かすことできるといわれていたが、歩行するほどの力はなかった。もちろん小さい内側の脚はもともと地面に届かなかったので、歩行力に関して問題はなかった。

幼少期


コービンはアメリカ、テネシー州リンカーン郡で父ウィリアム H. コービンと母ナンシー・コービンのあいだにうまれた。 

 

コービンの産後直後に診察した医師は、彼女が奇形として産まれた理由を探る必要性を感じたという。まず両親には約10歳の年齢差があった。産後時の父ウィリアム H. コービンは25歳で、母ナンシーは34歳だった。次に医者は夫婦の外見がよく似ていることに気づいた。ふたりともに赤毛で、眼は青く、肌はたいへん白かった。

 

実際、夫婦はあまりに似ているように感じたので、医師は医療報告書で2人は「血縁関係ではない」ことを明確に指摘する必要があると感じたという。

 

医師はこのような2つの要因を挙げたにもかかわらず、結局、少女は単純な奇形として記録されることになった。コービン家に彼女のほかに7人の子どもがおり、ほかの兄弟は皆、普通だった。

 

サイドショーでデビュー


1881年、13歳のときマートルは"テキサスの4本脚の少女"という触れ込みでサイドショー巡業に参加する。彼女に対して好奇心を抱きお金を払っていく人たちを見て、ビジネス機会の可能性を認識する。

 

父はサイドショー用のパンフレットを制作し、新聞に広告掲載をして、積極的に宣伝活動を行った。しかし、興味を持った客をサイドショーに呼び込むよりも、彼女自身で巡業をはじめることのほうが良いと考えて、小さな町や都市を巡業し、一般の人々に演芸を披露した。巡業中、彼女は週に450ドルの収入を得ていたという。

 

その後、有名ショーマンで知られるP・T・バーナムが彼女の噂を聞きつけ、自身のショーに彼女を4年間の契約で出演させる。当時の彼女の人気は非常に高いものだった。彼女の演芸に影響を受けたもの、彼女と契約を結べなかったほかの興行師たちは、フェイクの4本脚をつけた女性たちにいかさま演芸をさせ、客を呼び込んでいたという。

 

18歳でサイドショーの世界から引退して医者のクリントン・ビックネと出会い恋愛関係に発展する。19歳で2人は結婚し、4女1男を産んだ。