長井勝一「ガロに関すること」

『ガロ』創刊の目的


とにかく、白土さんの作品にも、人柄にもほれこんで、その作品を載せる雑誌が作りたかった。『ガロ』はね、そのために作ったんですよ。漫画のいい作り手を育てよう。

 

『ガロ』の骨子は、新人を育てること漫画の水準を押し上げること、それに世の中から差別をなんとかなくしていくことを、どこか底の底に持った雑誌を出版していこうと。

 

とにかく、社会状況を変えよう。40年以上も一貫して変わらない自民党政権というような状況を、漫画を用いて変えようと思ったんです。しかし、現実には大人じゃ変えられない。で、若い人達に、世の中どうなっているのか、何が悪で何が正義なのか、『ガロ』で勉強させようじゃないか、ということで『カムイ伝』の連載を始めたわけです。

作品選定の基準


多くの新人に出会いましたが、作品を選ぶ基準のようなものがあるとすれば、その人のもっている質を尊重することではないでしょうか。既成作家のいいと思う作品を基準にして、新人を判断しないということ。一般商業誌だと、どうしても一定の水準というものを考える。その水準というのは、自分が見聞した狭い範囲で、一番がいいと思うものとの比較で決められてしまう。平均化してしまうわけ。私はつねにいままで自分が見たこともないような漫画が現れるのを楽しみに見る。

 

うちでは何のスタイルもないから。いろんなものが載ってるでしょ、『ガロ』って。どこが尻尾で、どこが頭とか、おそらくつかみようがないと思うんですよ。みんな個性があるんで、その個性を大事にやっていきなさいと。他人と絵が違おうが、ストーリーの作り方が違うとか、そういうのは何も関係なくて、あなたは、あなたのものを作ればいいんだって、僕は言うんですね。

 

大事な選定の基準はやっぱり読んでみてストーリーの意味が納得できるかです。やっぱり読んでいるうちに次がめくりたくなるから分かるわけです。次が重っくてね、めくれなくなったら終わりですよ。何描いてんだ、ばかなっていうような気持ちになってくるときでも、最後まで必ず見るんですがね。今度は、どこがこいつばかなんだと。どこが足りないからこういう駄作ができるのかと見ますね。ああいいなと思えば、とっておくんですよ。一回見て、載せるまでに少なくとも5回くらい見ますよ。時々暇なときに出してみてね、どーかなって納得するまで見て。

 

別に大手出版の漫画がすべて悪いっていってるんじゃありません。しかし、同じ漫画でも暴力、セックスだけじゃない、もっと完成度の高いものだってあるんだ。そういう漫画をお金を求めずして描いている漫画家だっているんだ、といいたいんですよ。ま、僕が生きている間、そんな漫画雑誌が一冊ぐらいあってもいいじゃないですか。

経営状態


出すたびに赤字。でも、いい作品さえ載せれば、最低、存続はできる。これは信念ですね。そのいい、悪いは、どうして決めるかというと、独善的に僕が決めるわけ。それで、出てきた人たちが活躍すると、それみろと思う。金儲けなんかよりずっと楽しい。

 

原稿料はないんですよ。払ってないんです。私は、そう思ってないけど、半分同人誌といわれても仕方ない。ここ10年ぐらいは「お願いします」といって作っている。

 

「ガロ」が原稿料を払えたら、もっともっといい漫画家が世の中に出たと思うんですよ。やっぱり腰が折れちゃうというか。親、兄弟みんなから「いつまでそんなお金にならないことやってるんだ」って言われるわけですから、そうとう自信を持っている人でも気落ちしてしまう。

 

原稿料が払えないのはつらいですよ。有名な人ならいいですよ。よそで収入があるから。無名な人だとそうはいかない。それに払えないのはね。今、困っているのは、この本(『「ガロ」編集長』)の出版記念がやられそうなことです。ひとのパーティーは全部欠席していたんです。会費は今どき一万円でしょ。そんな金があったら原稿料支払いにまわしたい。

『ガロ』を振り返って


楽しい思い出ねえ、うーん、浮かんできませんね。命を削るようにしてかかれた作品なのに、金が出せなくて、悪いなあ、つらいなあってことばかりで。

 

貧しかったけど、心は貧しくなかったよなぁ。漫画が好きだ、描きたいという人が集まってきた。それでいて、人まねなんかしたくない人ばかりでなぁ。


■参考文献

・『ガロ』1996年10月号