ねこぢる&山野一インタビュー3
『ガロ』で好評連載だった「ねこぢるうどん」。作者であるねこぢること前山野夫人と山野一氏のインタビュー。山野氏の「ねこぢるうどん」への関わり方や発想の源、そして山野漫画の基盤を語る。
惨めなものが幸福になる事は許されない
(出典元:ガロ1992年 6月号)
-山野さんの漫画は、登場人物のすべてに救いが無いですよね。
山野:加害者も被害者も一様に不幸だという(笑)。
-支配者と被支配者がはっきりとわかれていますよね。『四丁目-』に"世の中には奉仕する者とされる者との二種類の人間がいて、それは地下鉄の駅の様に明確に区切られている"というセリフがありましたが。
山野:惨めな境遇にある者が、幸福になるなんて、絶対に許せないですよね(笑)。正しくないですよ。僕は正しい漫画を描いているのにな(笑)。理不尽な差別を受けて、皆から嫌われ蔑まされている者がさわやかな幸福を手に入れるなんて誰も納得しませんよ。
-その考え方には、何時頃から固まったものなんですか。
山野:何時頃からなんでしょうね、世間で誰からも"コイツは駄目なやつなんだ、自分がどう転んでもコイツ以下の人間には成らないんだ"って思われている様な者が幸福になるのは、人間が生理的に一番我慢出来ないんじゃないかと思うんです(笑)。何か自分の拠り所というか、"支え"がなくなりますよね。
-そういった考え方が基本になっているんですか。
山野:『四丁目-』を描いているとき、あのころは貧乏だったし、決して幸福な状況はなかったんですが、ナチの共産党嫌いってありますよね、自分が貧乏にもかかわらず貧乏が許せないという、それに似ているのかもしれませんね、この世の中を動かしているシステムの様なものに、生まれた時点で無理矢理適応せざるをえない訳ですよね、それが不条理な物であると認めつつも何とか適応しているにもかかわらず、正論なんかを言い出すやつがいると、納得できないんですよ。
-それは四日市時代に父親のところへ陳情に来る労働者を見ていて、培われたものなんでしょうか。
山野:そうかもしれませんね。労働者が惨めな住宅に住んで、貧しい物を食って、という状況を強いられているような社会構造が間違っているなんて言い出すこと自体が、何かおかしいんじゃないかと思うんです。別にしっかりした理論の裏付けがあるわけでもないんですが、体質的にそうなんですね、もう、根付いているというか。
-直感で。
山野:ええ、納得できないシステムで自分に不本意な地位しか与えられていないということに甘んじているにもかかわらず、労働運動する、・・・・・・あ、今は賃上運動ですけど、そういう事に納得できないんですよ。徒党をくんで権利を主張するとか大嫌いなんです。労働者とか、日教組の教師とか大嫌いでしたね(笑)。
-山野さんは、学生時代に三畳の部屋に住んでいたことがあるそうですね。
山野:それは納得できるんです。ヒンズー教徒ではないですが、神に与えられた地位でいくら自分が納得できなくても、それに耐え続けるしかないという考えがあるのかもしれませんね。
-運命には逆らわない主義なんですか。
山野:というよりも、逃れられないというところがありますね。
-自分でも逃れようとは思われないんですか。
山野:うまく言葉では説明できないけど、自分が幸福に成るという気が全然しないんです。
-流れに身を任せる、という感じですね。ところでねこぢるさんは、今後の『ねこぢるうどん』の展開をどうお考えですか。
ねこぢる:自分が向上心がないし、嫌なことがあるとすぐ拒否するんで、今は仕事があるから続けてますけど、なくなったらキッパリやめられます。一時は、このまま続ける必要もないんじゃないかと思ってました(笑)。
コメントをお書きください