人魚のミイラ
猿の上半身と生鮭を融合した作り物
概要
「人魚のミイラ」は江戸時代の見世物展示における代表的な作り物。アンデルセンの童話や西洋のファンタジーに現れる人魚(マーメイド)のイメージとはほどとおく、非常にグロテスクで不気味な形態をしている。
魚の下半身部分のひれや鱗、人型の上半身と小さな手の五本指、まばらに残っている頭髪、笑っているのか叫んでいるのかわからない表情と口からのぞく小粒な歯並び。
江戸時代の史料によれば、「干物」「乾物」「塩もの」「作りもの」「細工」などと呼ばれて登場する。2016年に国立民俗学博物館で開催された「見世物大博覧会」によれば、死んだ小さめの猿の上半身と大きめの生鮭の頭から下を利用して造っているという。
江戸時代に多く作られた日本製人魚のミイラは日本全国に残っているが、海外にも多数輸出されており、オランダにあるライデン国立民族学博物館やアメリカのバーナム美術館(火災で消失)、ギリスの大英博物館などが所蔵している。
歴史
18世紀後半から作られていた
日本における人魚のミイラの最も古い記録は、安永6年(1777年)に書かれた平賀源内の『放屁論後編』にある一節である。
「当時諸方にて評判の品々は、飛んだ霊宝珍しき物、十月の胎内千里の車、鹿に両頭あれば猿に曲馬あり。(中略)大魚出れば大蛇骨出、ガラス細工、ナンキン傀儡古を以て新しく田舎道者の目を悦ばしめ、鳥娘は名にてくろめ、人魚は人をちやかすなり。」
「飛んだ霊宝」とはこの年に江戸の両国広小路で開かれ評判になった細工見世物興行で、その中には仏像の細工だけでなく、双頭のシカ、猿回し、馬の曲芸、鳥娘といったさまざまな珍しいものをアトラクションとして展示されており、その中の1つが人魚のミイラだったという。
人魚のミイラは本物ではなく、作り物であることは確かだが、具体的な素材はわかっておらず、おそらく干し物魚介などを材料にしていたと思われる。
人魚ミイラ細工師
江戸時代の国学者、喜多村信節(1783〜1856)による随筆『きさのまにまに』では、天保元年(1820)年2月ころに江戸で流行っていた「化物の細工」の作りが明かされている。
それによれば、化物中心の細工をつくっていた宇祇次という細工師が江戸の見世物に人魚のミイラを出品したことがあるようである。「獣皮魚皮あはせて作れり」という記載されているように、作り物だったそうだ。