リチャード・コッティンガム / Richard Cottingham
80〜100人を殺害したトルソーキラー
概要
生年月日 | 1946年11月25日 |
活動国 | アメリカ |
ニックネーム | トルソーキラー |
確定犠牲者 | 11 |
推定犠牲死者 | 85~100 |
活動期間 | 1967〜1980年 |
リチャード・フランシス・コッティンガム(1946年11月25日生まれ)は、1967年から1980年にかけて、ニューヨークとニュージャージ州で少なくとも11人の若い女性と少女を殺害したアメリカのシリアルキラー、強姦魔。
1979年12月2日、タイムズスクエア近辺の西42丁目と10番街のトラベル・イン・ホテルで2人の犠牲者を胴体をバラバラにしたことから、トルソーキラー、タイムズスクエア・トルソーリッパーというニックネームで呼ばれるようになった。
コッティンガムは、風俗嬢のDeedeh Goodarzi(22歳)と身元不明の10代の被害者を拷問して殺害したあと、頭と両手を切断し、胴体に火をつけた。切断した頭部と両手を持って逃走したという。
1980年5月22日、ニュージャージー州のモーテルで、ニューヨークから連れてきた10代のセックスワーカーを拷問しているところを逮捕された。
1981年から1984年にかけてニュージャージー州とニューヨーク州で行われた一連の裁判で、コッティンガムはニュージャージー州で2件、ニューヨーク州で3件の計5件の殺人、さらに複数の誘拐と性的暴行の罪で有罪判決を受けた。
また、2010年、コッティンガムは、1967年のナンシー・ヴォーゲル殺害の罪を認めた。1968年から1969年にかけてニュージャージー州バーゲン郡で起きた女子学生ジャッキー・ハープ、アイリーン・ブラーゼ、デニース・ファラスカの殺人事件についても免責下で自白した。
2021年、ロレイン・マリー・ケリー(16)とメアリー・アン・プライヤー(17)の二重誘拐強姦殺人事件を自白し、有罪を認めた。
公式では11人を殺害しているが、85人から100人の殺人を犯したと主張している。コッティンガムはニュージャージー州ブリッジトンのサウス・ウッズ州立刑務所に収監されている。
略歴
幼少期
コッティンガムは1946年11月25日、ニューヨークのブロンクスで3人の子供のうちの1人として生まれた。
1958年、12歳のときに家族でニュージャージー州リバーベイルへ移る。1964年、ニュージャージー州ヒルズデールにあるパスカックバレー高校を卒業。
1964年から1966年まで、父親が勤めるメトロポリタン生命でコンピューター・オペレーターとして働きながら、コンピューター・コースを受講していた。
1966年10月、ニューヨークのブルークロス・ブルーシールド協会でコンピューターオペレーターとして働き始める。1970年5月3日、ニューヨーク州クイーンズビレッジの聖母教会でジャネット夫人と結婚。
事件
コッティンガムが殺人事件を犯している間でも、別件で何度も軽罪で逮捕されていた警察は彼の殺人を認識していなかった。
1969年10月3日、ニューヨークで飲酒運転で起訴され有罪判決を受け、10日間の懲役と50ドルの罰金を言い渡されている。
1972年8月21日、コッティンガムは、ニュージャージー州パラマスのスターンズ・デパートで万引きをした罪で起訴され、50ドルの罰金を支払うよう言い渡された。
コッティンガムの最初の殺人として知られているのは、1967年のナンシー・スキアヴァ・ヴォーゲル殺害事件である。
29歳の既婚で2児の母である彼女の首を絞め、縛られた裸の死体がニュージャージー州リッジフィールドパークの彼女の車の中から発見された。
彼女は3日前、地元の教会で友人たちとビンゴゲームをするために家を出たのが最後の目撃情報だった。
1979年12月2日、ニューヨークの消防士たちは、タイムズスクエア近くのトラベルインホテルの警報で駆けつけた。中で彼らはディー・ディー・グッダージともう一人の身元不明の女性の遺体を発見した。
二人の遺体は手と頭を切り取られ、ライターの液体をかけられ、火をつけられていた。失われた体の部位は見つかっていない。
1980年5月5日、警察はニュージャージー州ハスブルック・ハイツのクオリティ・インで19歳のヴァレリー・アン・ストリートの死体を発見した。
被害者の両手は背中にきつく手錠で縛られていた。彼女は噛み痕だらけで、すねに殴られたあとがあった。ストリートは窒息死していた。この殺人は、後に同じモーテルで起きた以前の殺人事件と関連があるとされた。
X線技師マリアン・カー(26)の死体も同じホテルの近くで残忍に殴られているのが発見されたが、警察はコッティンガムの逮捕後までこの犯罪を明確に結びつけることができなかった。
5月15日、歴史あるセビル・ホテルでジーン・レイナーが首を絞められ、喉を切られた。
2014年から、コッティンガムはさらに3人の女性(ミッドランドパークのジャカリン・ハープ、ボゴタのアイリーン・ブラーゼ、クロスターのデニス・ファラスカ、いずれも1960年代末に絞殺された)の殺害を認めた。
2021年4月、コッティンガムは、1974年にニュージャージー州モントベールで起きた10代のロレイン・マリー・ケリーとメアリー・アン・プライヤーの二人の誘拐、レイプ、殺人の未解決事件を自供した。
自白を促したのは、退職直前のバーゲン郡検察庁のロバート・アンジロッティ刑事だった。アンジロッティは15年かけてコッティンガムと面会し、自白に向けた操作を行い、コッティンガムに起因する犠牲者の数を11人にまで確定させた。確定していないが、85から100人の殺人を犯したとみられている。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Cottingham、2022年3月3日アクセス