ロバート・ピックトン / Robert Pickton
遺体を豚に食べさせ市場に売り出したシリアルキラー
概要
生年月日 | 1949年10月24日 |
活動国 | カナダ |
確定犠牲者 | 49 |
推定犠牲死者 | 49 |
活動期間 | 1983-2002 |
ロバート・ウィリアム・"ウィリー"・ピックトン(1949年10月24日生まれ)は、カナダの連続殺人犯。
長期捜査の末2002年に逮捕。2007年に6人の女性の第2級殺人事件で有罪判決を受けたが、他にも多数の殺人事件の証拠が出はじめ、さらに20人の女性を殺害した罪で起訴される。殺害された女性の多くはバンクーバーのダウンタウン・イーストサイドに住む女性だった。
ピクトンは人肉を挽き肉にして、公衆に販売した豚肉に混ぜていた可能性があるという。別の主張としては、ピクトンは死体を直接豚に食べさせたと主張している。いずれにしても市場に人肉がばらまかれた。
最終的に終身刑に処されたが、ピクトンは49人の殺人を自供している。同房者に装った監察総監部の潜入捜査官にピクトンは、「49人殺した。本当はくぎりがいい50人を殺したかったが、ヘマをした」と明かしている。
背景
ロバート・ウィリアム・ピクトンと弟のデビッドは、バンクーバーから東に27kmのブリティッシュコロンビア州ポートコキットラムで農場を経営していた。
労働者のビル・ヒスコックスはこの農場を「不気味な場所」と呼び、ピクトンを「かなり無口な男」と表現し、薬物乱用の疑いがないにもかかわらず、ときどき奇妙な行動をとることで注目を集めていた。
ピクトン兄弟は、この地の農業経営を放置するようになった。2人は1996年に非営利慈善団体「ピギーパレス・グッドタイムズ・ソサエティ」をカナダ政府に登録する。この団体は「奉仕団体、スポーツ団体、その他の価値あるグループに代わって、特別なイベント、機能、ダンス、ショー、展示会を組織、調整、管理、運営する」と説明していた。
しかし、実際はバンクーバーのセックスワーカーをフィーチャーしたレイヴやワイルドなパーティー組織で、農場内にある屠殺場を改造した場所で集会をしていた。2,000人以上の人々が集まり、その中には暴走族のヘルズ・エンジェルズのメンバーが農場を頻繁に訪れていた。
1997年3月23日、ピクトンは農場での口論の末、何度も刺したセックスワーカーのウェンディ・リン・アイステッターの殺人未遂容疑で起訴された。アイステッターによればピクトンが自身に手錠をかけ、数カ所の裂傷を負わされた後に逃げ出たと話している。また、アイステッターも彼の武器を取り上げ、彼を刺したと話している。ピクトンはイーグルリッジ病院で治療を受け、アイステッターは最寄りの緊急治療室で治療を受けた。
その後、ピクトンは2000カナダドルの保釈金で釈放された。告訴は1998年1月に却下された。数ヵ月後、ピクトン一家はポート・コキットラムの職員から、区画されていた農業を放置し「ダンス、コンサート、その他のレクリエーションを開催する目的で、土地の大規模な農場の建物を改造した」として、ゾーニング条例違反で訴えられた。
ピクトン家は法的な圧力を無視して1998年に農場で新年パーティを開催。その後、彼らは今後パーティーを禁止する命令に直面し、警察は農場での将来のイベントに参加するすべての人を逮捕し、排除する権限を与えられた。
翌年、赤字経営を理由に非営利団体としての資格を剥奪され、解散となった。
殺害
3年にわたって、ピクソンの農場を訪れた女性たちがどんどん行方不明になることにヒソックスは気づいた。2002年2月6日、警察は違法な銃器所有の疑いで農場の敷地内での捜索令状を執行した。
ロバートとデビッド・ピクトンは逮捕され、警察は行方不明の女性の捜査の一環として農場を捜索する第二次令状を取得。行方不明の女性の所持品が農場で発見され、RCMPとバンクーバー警察の合同捜査隊によって封鎖された。翌日、ピクトンは武器犯罪で起訴された。ピクトン兄弟は2人とも後に釈放されたが、ロバート・ピクトンは警察の監視下に置かれていた。
2月22日、ロバート・ピクトンは、セレーナ・アボッツウェイとモナ・ウィルソンの死亡事件で逮捕され、2つの第一級殺人罪で起訴された。4月2日には、ジャクリーン・マクドネル、ダイアン・ロック、ヘザー・ボトムリーの殺人事件でさらに3つの罪状が追加された。
4月9日にアンドレア・ジョーズベリー殺害の6つ目の容疑がかけられ、間もなくブレンダ・ウルフの7つ目の容疑がかけられた。9月20日には、ジョージナ・パピン、パトリシア・ジョンソン、ヘレン・ホールマーク、ジェニファー・ファーミンガーの殺害容疑が4件追加された。
ヘザー・チノック ターニャ・ホリック シェリー・アーヴィング インガ・ホールの 殺人容疑でさらに4件の告発が10月3日に行われ 合計で15件となった。これはカナダ史上最大の連続殺人犯の捜査となった。
2005年5月26日には、カラ・エリス、アンドレア・ボーヘブン、デブラ・リン・ジョーンズ、マーニー・フレイ、ティファニー・ドリュー、ケリー・コスキー、サラ・デ・ヴリース、シンシア・フェリックス、アンジェラ・ジャーディン、ウェンディ・クロフォード、ダイアナ・メルニック、ジェーン・ドウの殺害容疑で、ピクトンに対して12の追加起訴がなされ、第一級殺人容疑の総数は27件となった。
調査は2003年11月まで農場で行われており、州政府によると、調査費用は2003年末までに7000万ドルに上ったと推定されている。
2015年、敷地はブリティッシュ・コロンビア州の権利であるクラウンの先取特権の下、フェンスで囲われている。その間、小さな納屋を除く敷地内の建物はすべて取り壊されていた。
遺体が腐敗したまま放置されていたり、農場で昆虫や豚に食べられていた可能性があるため、法医学的分析は困難であることが判明した。
発掘の初期の日の間に、法医学人類学者は、人骨の痕跡を見つけるために、2機の50フィート(15メートル)のコンベアーベルトを利用した。
2004年3月10日、政府は、ピクトンが人肉を挽き肉にして、公衆に販売した豚肉に混ぜていた可能性があることを明らかにし、州の保健当局は後に警告を出した。別の主張としては、ピクトンは死体を直接豚に食べさせたと主張している。
2000年以前から連続殺人
2003年に予備調査が行われ、その証言は2010年まで公開禁止となっていた。この調査では、1997年に起きたセックスワーカーのウェンディ・リン・アイステッター殺傷事件に関連したもので、この事件でピクトンが殺人未遂で起訴されていたことが明らかになった。
アイステッターによれば、ピクトンが彼女をの農場に車で連れて行き、セックスをした後、彼女の左手に手錠をかけて腹部を刺したと尋問で証言している。彼女は正当防衛でピクトンを刺した。
その後、彼女とピクトンは同じ病院で治療を受け、スタッフはピクトンのポケットから見つけた鍵を使って女性の手首から手錠を外した。
ピクトンに対する殺人未遂罪は1998年1月27日に延期されたが、それはこの女性が薬物中毒の問題を抱えていたことと、検察官が彼女の証言が不安定すぎて有罪判決を得るには不十分だと考えたからである。
ピクトンがその晩に履いていた服とゴムのブーツは警察に押収され、RCMPの倉庫のロッカーに7年以上も放置されていた。2004年になって初めて、研究所での検査で、行方不明になっていた2人の女性のDNAが1997年にピクトンか押収したもの付着していたことが明らかになった。
バンクーバー警察のロリマー・シェンハー刑事によると、1998年に女性の失踪事件でピクトンを捜査すべきだという警察へのタレコミ電話があったという。
1999年、カナダの警察は、ピクトンが農場に人肉の入った冷凍庫を持っているとの情報を得ていた。行方不明の女性の殺害を否定したピクトンに事情聴取を行い、彼の農場を捜索することに同意を得ていたが、警察は一度も行っていなかった。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Pickton、2020年6月21日アクセス