セルヒィ・タッカ / Serhiy Tkach
警察官に化けたウクライナの連続殺人鬼
概要
生年月日 | 1952年9月15日 |
活動国 | ソビエト、ウクライナ |
確定犠牲者 | 37 |
推定犠牲死者 | 100人以上 |
活動期間 | 1985-2005 |
セルヒィ・フェドロヴィッチ・タッカ(1952年9月15日-2018年11月4日)は、ソビエト、ウクライナの連続殺人鬼。1980年から2005年までウクライナで37人の女性と少女を殺害した罪で有罪判決を受けた。
セルヒィ・フェドロヴィッチ・タッカ(別名セルゲイ)は、1952年9月15日、ソビエト連邦のロシアSFSRのキセリョフスクで生まれた。彼はソ連軍に従軍し、近隣の人々によると、アフガニスタン侵攻の退役軍人であると主張していたという。
タッカはケメロヴォ州で警察の刑事捜査官として務め、内務省の学校に推薦されて入学したが、偽造証拠を捕まり辞任を余儀なくされた。その後、1982年にウクライナ社会主義共和国に移るまで様々な仕事をしていたが、ドニプロペトロフスク地方の警察の犯罪捜査官として再び務める。
1984年に、タッカが暮らしいたウクライナ東部のハリコフ州、ザポリツィア州、ドニプロペトロフスク、クリミア地区で、若い女性や少女がどんどん姿を消し始めた。タッカは8歳から18歳の女性をターゲットにしており、首を絞めて殺したあと、死姦していた。
タッカは警察官の知識を利用して、最近タール処理された線路近くの犠牲者を選び、警察犬に匂いを嗅がせないようにするなど、捜査のかく乱に成功した。
2005年8月、タッカは被害者の葬儀に参列したが、そのときに参列していた子供が被害者の死の直前にタッカと一緒にいるのを見たと主張しはじめた。ポロヒの自宅で逮捕されたが、逮捕されるまで100人以上を殺害した罪が認められ、死刑を要求された。
1年の裁判の後、2008年にドニプロペトロフスクの法廷は、20年以上にわたって37人の女性と少女を殺害した罪で無期懲役を宣告した。
数年の間に15人の男性が誤って投獄され、そのうちの1人が自殺し、2012年3月まで釈放されなかった男性もいた。
2018年のNetflixのドキュメンタリー「Inside the World's Toughest Prisons」では、メディアのインタビューを読んで彼に夢中になった20代の女性ファンと刑務所にいる間に子供を作り父親になったことが明らかになった。彼女は2015年にタッカと結婚したが、人権規定により夫婦の面会が許された。
2018年11月4日午後7時、刑期を終えたジトミルの第8刑務所でタッカは死亡した。死因は心不全であった。親族の誰一人として遺体を引き取らなかったため、11月7日に刑務所の職員によって埋葬された。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Serhiy_Tkach、2020年6月29日アクセス