シャム双生児 / Siamese twins
身体が結合した状態にある双子
概要
シャム双生児とは子宮内で身体が結合した状態で生まれてくる双子のこと。医学名では結合双生児という。出生確率は極めて低く、4万9000件から18万9000件の出生あたりに1組程度の割合で、東南アジアとアフリカで発生率はやや高くなるという。
出生した双生児の半分は死産であり、さらに3分の1が出生後24時間以内に死亡する。生き残りやすいのは女性の双生児で、死産しやすいのは男性の双生児である。
結合双生児が生まれる原因は2つある。もっとも一般的な理論は受精卵の卵割が不十分なときに発生するというものである。もう1つは今では顧みられていない理論だが、一度完全に卵割して分離するが、同じ細胞を探し出す幹細胞がほかの双子の幹細胞を見つけて再び融合するという理論である。結合双生児は単一の共通の絨毛膜、胎盤、羊膜腔を共用する。
最も有名な結合双生児は、シャム(現在のタイ)のチャン&エン・ブンカー兄弟(1811–1874)である。2人はアメリカのサーカス興行師であるP・T・バーナムのサーカス団に長年にわたり参加し、“シャム双生児”という呼び込み名が与えられ、世界中で有名になった。“シャム双生児”という言葉の由来となったのがこの兄弟である。2人は胸部と腹部の中間付近で結合していた。現代の医学であれば2人は簡単に分離手術ができるという。
しかし、結合双生児の分離手術の多くは非常に危険で命にかかわる。多くの場合、片方が亡くなるか、両方とも亡くなっている。特に頭部結合型や重要器官を共有している結合双生児の手術は、亡くなる場合が多い。外科医の倫理に従えば、分離手術をおこなわないほうが生き残りやすい。
重要ポイント
- シャム双生児の正式名称は結合双生児である
- 結合双生児発生原因は受精卵の卵割が不十分であること
- 分離手術は生命に関わる危険行為である
結合双生児のニュース
■紛争下のイエメン、結合双生児が深刻な容体 海外での治療必要と病院訴え(12月20日)
■分離手術から17年、大学生になった結合双生児の姉妹(10月25日)
■頭でつながった双子、手術成功でパキスタンに無事帰国(10月21日)
■バングラの頭部結合双生児、30時間に及ぶ分離手術が成功(8月2日)
■分離手術から7年、結合双生児の片割れを亡くした少年の今(7月19日)
結合双生児の種類
結合双生児は一般的の身体が結合した状態のことを指す。一般的な結合双生児の種類としては以下のものがある。
・胸臍帯結合双胎(Thoraco-omphalopagus):全体の28%
胸の上から腹部下まで結合した身体。この場合の双子はたいてい心臓を共有しており、場合によっては肝臓や一部の消化器官も共有している。心臓分離手術はほぼ不可能。
・胸部結合双胎(Thoracopagus):全体の18.5%
胸部で結合した身体。この場合双子はいつも心臓を共有している。2015年、共有状態にある心臓を分離して生存させることできないて示された。心臓を片方だけに割り当てれば、一人を犠牲にしてもう一人は生き残ることはあり得るという。
・臍結双胎(Omphalopagus):全体の10%
腹部下で結合した身体。胸腹部結合と異なり、この場合心臓は共有されおらず分離されている。しかし、肝臓や消化器官や横隔膜などほかの臓器を共有していることがある。
・寄生型双胎(Parasitic twins):全体の10%
非対称的な形で結合状態にある身体。片方の双子は小さく、ほとんど成長せず、生きるにはもう片方の双子に依存する。
・頭蓋結合双胎(Craniopagus): 全体の6%
頭蓋骨が結合しているが、身体は分離している。この場合、頭の後部、頭の全部、頭の側部で結合しているが、顔面や付け根は結合されていない。ラレ・ビジャ二姉妹が代表例である。
・一頭二顔体(Cephalopagus)
二人の顔面が反対向きに結合した結合双生児。またはわずかに結合したタイプ。上半身も融合されていることが多く、下半身で分離されている。このタイプは一般的に脳に重度の障害が起こるため長生きしない。古代ローマの神ヤヌスが代表例である。
・頭部癒合重複奇形体(syncephalus)
顔面が前向きに融合して1つになっているタイプ。身体は2つあり上半身は融合しているが、下半身は分離されている。死産で生まれ生き延びることはできない。
・頭胸結合双胎(Cephalothoracopagus)
頭は2つあるが半分以上融合している。正面向き合って融合している場合はのっぺらぼうになって耳だけ出ていることもある。上半身も融合している。死産で生まれる。
・剣状突起結合体(Xiphopagus)
腸骨軟骨が融合している。臍から下胸あたりがくっついている。二人の身体は肝臓をのぞいて臓器は完全に別れている。このタイプの有名な双生児はチャン&エン・ブンカー兄弟である。
・寄生的股結合体(Ischiopagus)
下半身部分が結合しており、また背骨が180度の角度で結合したタイプである。ベトちゃんドクちゃんが代表的である。
・臍帯寄生的股結合体(Omphalo-Ischiopagus)
寄生的股結合体と同じく下半身部分で結合するが、身体は180展開せず対面している。これらの双生児は4本の腕と2~4本の脚がある。
側部結合双生児 (Parapagus)
骨盤が平行に結合された状態の双生児。アビゲイル&ブリタニー・ヘンゼル姉妹が代表的な例。脊椎は2つあり、頭は完全に別れているが腹部や骨盤で結合する。臓器によって1人分、2人分あり循環器は共有されている。
結合双生児が生まれる原因
結合双生児が生まれる理由に有力な説はあ2つある。1つは一卵性双生児が形成される過程で1つの受精卵の卵割が不十分であったこと。なお、一卵性双生児とは1個の受精卵が分裂して2個以上の胚が発生する現象のことで「多胚」とも呼ぶ。多胚は卵割2〜4細胞期に発生する。
結合双生児が生まれるもう1つの理由は、2つの受精卵の融合が受精後初期段階に起きるというものである。こちらの説は現在あまり受け入れられていない。
結合双生児は環境や遺伝性とは関連していないと考えられているが、結合双生児が生まれること自体が希少なため、環境や遺伝との関連性をはっきりと否定をすることはできないという。
結合双生児の歴史
古代の結合双生児
紀元300年頃、古代ペルーのモチェ文化の陶器に結合双生児が描かれていた。
起源415年頃アウグスティヌスは、著書『神の国』で「上半身は2つあるが、下半身は1つ。2つの頭、2つの胸、4つの手だが身体は1つで普通の人のように脚は2つ」と書いており、結合双生児に言及している。
9世紀頃の歴史家テオファナスの証聖者は、紀元385=386年頃に「パレスチナのエマオ村で、へその下は完全に普通だが、へそから上は分離されており、2つの胸と2つの頭を持つ子どもが生まれた。片方は飲み食いをするが、片方は何も食べなかった。また片方は起きているが、片方は眠っているときがあった。2人でじゃれあったり、泣いたり、ときには叩きあいをして喧嘩をしていた。2人は2歳ちょっとで亡くなった。1人が亡くなったあと、4日後にもう1人も亡くなった」と記録している。
アラビアでは、双子の兄弟ハーシム・イブン・アブド・マナーフとアブドゥ・シャム・イブン・アブド・マナーフが、頭にハシムの脚を付けて生まれてきた。伝説によれば、双子の父であるアブド・マナーフ・イブン・クサイは結合した兄弟を剣で分離したという。司祭の中には彼らが流した血が、子孫間の争いを生じさせた信じているものもいる。
10世紀のムスリム博学者のビールーニーは、著書『Kitab-al-Saidana』で結合双生児について記述している。
中世ヨーロッパの有名結合双生児
1100年から1134年(もしくは1500年から1534年)に生きたイギリスの結合双生児メアリ&エリザ・チャルクハーストは、おそらく最も有名な中世ヨーロッパの歴史初期における結合双生児である。"ビデンデンのおとめ"とあだ名で知られ、肩と尻がつながっており腹はつながっていなかった。34歳頃まで生きたと伝えられている。毎年、復活祭に貧しい人たちのために食べ物や飲み物を配っていたという。
ほかに歴史の初期における有名な結合双生児には"スコットランド兄弟"がいる。彼らはアビゲイル&ブリタニー・ヘンゼル姉妹のように1つの身体だが頭は2つのタイプで、1460年から1488年まで生きた。
1701年から1723年までハンガリーのショーネーのヘレン&ジュディス姉妹は、互いに反対側を向き尻でつながっていた結合双生児である。ハンガリアン姉妹としても知られている。彼女らは修道院で生活する以前は、少しの間、音楽活動をしていたという。
フリークショーで活躍しはじめた結合双生児
1829年にサルデーニャ島で生まれたリタ&クリスティーナ・パロディ姉妹は、胸の部分で結合した結合双生児(4腕2脚2頭体)で生まれた。両親は貧しかったこともあり、お金を稼ぐためにパリのフリークショーに2人を出演させて、注目を集めた。
しかし、リタの気管支炎が原因でわずか8ヶ月で亡くなった。彼女たちの遺骨はパリにあるフランス国立自然史博物館に保存されている。
19世紀の結合双生児のなかで、最も有名になり、舞台演芸の世界で成功して富と名誉を築きあげたのは、シャム国(現在のタイ)で生まれ、アメリカで活動したチャン&エン・ブンカー兄弟である。
ほかには、アフリカ系アメリカ人の殿結合体双生児のミル&クリスチーナ・マッコイ姉妹(1851年7月11日-1912年10月8日)がいる。彼女たちはノースカロライナ州で生まれ奴隷の子どもとして生まれ、興業師のJ・P・スミスに売られたが、ほかのショーマンに誘拐された。
誘拐犯はイギリスに逃げたが、イギリスではすでに奴隷制が禁止されていたため、当局から興業を禁止されていた。スミスはイギリスへわたり、彼女たちをアメリカへ連れて帰り、スミスは彼女たちに基礎教育、5カ国の言語、演奏や歌唱などの演芸を教えた。
その後、P・T・バーナムに雇われ、"カロライナの双子"や"世界の8大不思議"や"双頭のナイチンゲール"という売り文句を付けられ、フリークショーの世界で活躍した。
イタリア、ロカーナ出身のジョバンニ&ジャコモ・トッキ兄弟は、マーク・トウェイの短編『異形の双生児』で架空の双子アンジェロとルイージのモデルとして描かれ、有名になった。
トッキ兄弟は1877年に生まれた胸の部分で結合した結合双生児(4腕2脚2頭体)である。2人はショービジネスを嫌っていたと言われている。1886年にアメリカ巡業を行ったあと、ヨーロッパのイタリアの家族のもとに戻り、病気を患い、そのころに亡くなったと言われているが、1940年まで生きており、イタリアで孤立した生活をしていたという話もある。
結合双生児の分離手術
分離手術の大半は失敗
結合双生児の分離手術は、比較的簡単なものから非常に困難なものまで幅広く、結合点や共有している箇所にかかっている。分離手術の多くは非常に危険で命にかかわる。多くの場合、片方が亡くなるか、両方とも亡くなっている。
特に頭部結合型や重要器官を共有している結合双生児の手術は、亡くなる場合が多い。外科医の倫理に従えば、分離手術をおこなわないほうが生き残る。ノースウェスタン大学の歴史家アリス・ドレガーは、一般的に考えられている以上に結合状態のままの双子のほうが長生きしやすいという結論を出している。
頭部結合型のローリー&ジョージ・シャペル姉妹やアビゲイル&ブリタニー姉妹などが、分離手術を行わず長生きしている代表的な例である。
分離手術の歴史
記録によれば、最初期の分離手術は900年ころにビザンツ帝国でおこなわれている。当時、結合双生児の1人は亡くなっていたため、外科医は死んだ双子とまだ生きている双子を分離しようとした。手術後、3日間だけ双子は生きていたため部分的な成功として終わった。
次に古い分離手術の記録は1869年、ドイツで行われた結合双生児の分離手術である。記録によれば、外科医ヨハンナ・ファチオによって結合双生児の分離手術に初成功している。
1955年、シカゴのマーシー病院で、神経外科医のハロルド・ボリスと彼のチームが頭部結合型双生児の分離手術に初めて成功し、分離した双子は問題なく長生きした。その後、1963年の報告書によれば、大きな方の双子は正常に発育したが、小さい方の双子は障害を患うことになったという。
1957年、バートラム・カッツと彼の外科班は重要な器官を共有している結合双生児の世界で最初の分離手術に成功し、国際的な医学史にその名を残した。臍結結合の双生児であるジョン・ネルソンとエドワード・フリーマン兄弟は1956年8月27日アメリカ、オハイオ州のヤングスタウンで生まれた。二人は肝臓を共有していたが心臓は分離されていた。ヤングスタウンのノースサイド病院で分離手術に成功した。手術にはオハイオ州障害児童サービス協会の基金があてられた。
最近成功した結合双生児の分離手術は、2001年に行われたネパール人頭部結合型双生児ガンガ&ジャムナ・シュレスタ兄弟のケースである。ガンガ&ジャムナ・シュレスタ兄弟は2000年にネパールのカトマンズで生まれた。シンガポールで197時間に及ぶ分離手術の末、分離術に成功。
しかし、ガンガの方は脳障害が残った。また。ジャムナは歩けず、また頭蓋骨には穴が開いたままで、皮膚1層で保護されているだけの状態となった。ガンガは手術から7年後の2009年7月、肺炎と髄膜炎の治療を受けていたネパールの首都カトマンズの病院で呼吸器障害により8歳で死亡した。
マルタ島で寄生的股結合型双生児として生まれたメアリー&ジョディ・アタード姉妹は、2000年に11月にイギリス、マンチェスターの聖マリーズ病院で分離手術が行われた。両親の宗教的反対もあり、手術前にはイギリスの結合双生児分離手術裁判が行なわれた。
この手術は社会的な論議を巻き起こした。心臓と肺がジョディ側に依存していたため、手術後、メアリーは亡くなると考えられていたためである。しかしもし手術をしなかったら二人とも亡くなることは確実だった。しかし、手術後、二人とも問題なく生き延びることができた。
2003年、29歳のインド人の頭部結合型双生児、ラレ&ラダン・ビジャニ姉妹の分離手術がシンガポールで行われた。手術前にシンガポール保健相は分離手術の実施について、片方、もしくは両方にとって命取りとなると警告を発していた。手術は失敗し、2人とも手術中に死亡した。当時、世界的に報道された。
病院によると、日米、シンガポールなどの国際医師団は2人が共有する脳の静脈をラレの方に残し、ラダンの脳には太ももからとった静脈を移植。その後、約20時間かけて頭がい骨の切断と、癒着した2人の脳の分離を進めていたが、完全に分離する直前、2人は出血多量となった。
姉妹は頭部結合と言う障害にも関わらず、テヘラン大学法学部卒業と言う秀才で、車の運転もできた。手術前の記者会見でも二人とも流暢な英語で「姉は弁護士、妹はジャーナリストを目指して別々の仕事をしたいので、生命の危険があっても手術にチャレンジする」と明快に答えていたという。
有名な結合双生児
19世紀以前
・メアリ&エリザ・チャルクハースト姉妹
"ビデンデンの乙女"という名前でも知られている。12世紀ごろにイギリスのケント州で生まれた。2人は最初期の結合双生児として知られていてる。
1617−1647年。イタリア、ジェノヴァ出身の結合双生児。17世紀のヨーロッパ大陸を巡遊していた見世物芸人。
・ヘレン&ジュディス姉妹
1701-1723年。ハンガリー出身。骨盤で結合した結合双生児。
1811-1874年。タイ出身。臍から下胸あたりがくっついている剣状突起結合体双生児。シャム双生児の語源となる。
・ジョバンニ&ジャコモ・トッキ兄弟
1875?-1912?。イタリア、ロカーナ出身。胸の部分で結合した結合双生児(4腕2脚2頭体)。
20世紀生まれ
1908-1969年。映画『フリークス』や『チェインド・フォー・ライフ』に出演。骨盤で結合した結合双生児。
・ルチオ&シンプリシオ・ゴディーナ兄弟
1908-1936年。フィリピン、サマール島出身。
・マーシャ&ダーシャ・クリヴォシュリポヴァ姉妹
1950-2003年。ロシア、モスクワ出身。腰から下の下半身部分でくっつき、腕は4本、脚は3本、頭は2つの珍しいタイプの結合双生児。
・ロニー&ドニー・ガライオン兄弟
1951年生まれ。世界で最年長の生存している結合双生児。臍結合体型。
・ロリー&ジョージ・シャペル姉妹
1961年生まれ。アメリカ出身。頭部結合型。
1969年生まれ。インドの下肢結合型双生児。蜘蛛少女として見世物芸人として活動している。
1974年、イランのシーラーズ生まれ。頭部結合体。2003年にシンガポールの病院で分離手術を受けたが失敗し、2人とも手術中に死亡した。
・ベト&ドク・グェン兄弟
1981年。ベトナム出身。下肢結合体。1988年に分離手術に成功。2007年にベドは死去。
・パトリック&ベンジャミン・バインダー兄弟
1987年生まれ。ドイツ出身。頭部結合型。生まれた年に分離手術を行い成功。
1990年生まれ。アメリカ出身。側部結合型。2012年にベゼル神学校を卒業し、教師をしている。