岩本梅吉/Umekichi Iwamoto
江戸時代の足芸で最も優れた見世物芸人
概要
岩本梅吉は文化十二(1815年)年2月から、名古屋大須門前で活動していたこびとの見世物芸人。身長一尺八寸の31歳で、体重は二貫ていど。缶児ではないが足芸を得意としており、両足を両手と同じように自由自在に動かして曲芸を演じた。
江戸で畸形による足芸は、亨保時代の金太夫以来ずっとなかっただけでなく、梅吉の演じる足芸は、金太夫や以前の足芸の比ではない高レベルだっため、多大な人気をよんで、江戸中で評判になり、空前の大当たりだったという。
木戸銭を払って小屋へ入ると、開場を告げる太鼓の音とともに、楽屋から二人の助手が、こたつぐらいの大きさの箱を運んできて舞台の中央に置くと、口上は声を張り上げ
「岩本梅吉、この箱の中にはいっております。産まれは芸州広島、現在31歳でございますが、背の高さは扇子ぐらいしかない。しかし、両足の動きの見事さはとても人間技とは思えません。まず、三番叟から三味線の曲、続いて春駒かの曲から酒宴の体、その後、髪結や按摩の物真似、これらすべて足で行います。その次には手で切り抜き細工をしながら同時に足で折物細工をおこない、最後にしゃこだちをして終了となりますので、お見落としなくゆっくりとご見物のほどおねがいします」
と述べ、箱のふたをとると、四方の板がバラバラと倒れて、そこに梅吉が安座して姿をあらわすのだった。
やがて、下座の太鼓や三味線にあわせて梅吉は右足に鈴の柄、左足に扇子を挟んで、三番叟を踏むのであるが、両足の動きはまったく両手のように動き、肩から頭上へかけて足が縦横無尽に伸び拍子をとるのだった。
続いて、右足にばちを挟み、左足で三味線を抱え、小唄を数曲弾くのであるが、その間、両手は後ろにおき、身体を支えていたという。
三番目の演目では、右足に駒頭の柄、左足に手綱を挟み、さらに両手には団扇太鼓とばちを持ち、下座の囃子にあわせて、春駒のふるまいを演じる軽妙さは、口上の説明とおり本当に人間技とは思えなかったという。
四番目の演目は右足で銚子、左足で盃を持ち、酒宴の体をしたあと、さらに左足で肴鉢をとりあげ、右足で箸を持ち、肴を挟んで客にすすめた。
五番目の演目は手にハサミと紙、また足にも紙を持って、手足を同時に動かしながら、手で京女郎の肌着の形を切り抜き、足でかぶとの形を折る手際は、見事だったという。
そのほかには、足で髪を結ったり、肩をたたいて按摩するなど、両足指の動きは自在をきわめて、実に奇々妙々だった。
連日満員入りを続けていたが、興行終了後は近畿から四国を巡業し、文政五年(1822年)二月に再び名古屋で興行したのち、江戸へくだったが、両国広小路の観場に出演したのは、同年5月の下旬だった。
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